有馬と城崎。二つの古湯は、建物そのものが温泉文化を語る場所である。本稿で取り上げる 5 軒は、いずれも建物の一部または全体が国の登録有形文化財に指定されており、大正期から昭和初期にかけての木造温泉旅館建築を、客室として今も使い続けている。文化財建築に泊まる、という選択は、保存と利用が両立した稀な体験でもある。晩秋から冬にかけての但馬・有馬を、文化財の客室から眺めるための一冊として編集部が選んだ。
| # | 旅館 | 温泉 | Score | 客室 | 目安価格 | 建築の核 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 三木屋 | 城崎 | 94 | 16 | ¥68–¥108k | 昭和 2 年再建の木造三階建、志賀直哉ゆかりの客室を保存 |
| 2 | 西村屋本館 | 城崎 | 93 | 34 | ¥152–¥226k | 登録有形文化財・平田館、平田雅哉の数寄屋意匠 |
| 3 | 陶泉 御所坊 | 有馬 | 92 | 20 | ¥70–¥164k | 本館・新館・蔵が登録有形文化財、800 年以上の連続営業 |
| 4 | ホテル花小宿 | 有馬 | 91 | 9 | ¥54–¥80k | 明治期外国人向け旅館を写した木造、御所坊の妹宿 |
| 5 | 中の坊瑞苑 | 有馬 | 89 | 50 | ¥121–¥183k | 奈良時代起源の坊舎、現本館は明治元年からの系譜 |
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1 泊 2 名利用時の 1 室あたり料金(税込)です。
1. 三木屋 — 兵庫県豊岡市・城崎温泉
昭和 2 年再建の木造三階建。志賀直哉が逗留し「城の崎にて」を執筆した部屋を、今も客室として保存する一軒。
Media Picks Score: 94 / 100 16 室、登録有形文化財の旅館。
目安価格 ¥68,000–¥108,000 / 泊 (2 名 1 室・通常期)

なぜ選ばれるか
大正 14 年の北但大震災で倒壊し、昭和 2 年に再建された木造三階建の建物が、ほぼそのままの姿で残されている。志賀直哉が大正 2 年から愛用した部屋には、主人宛ての直筆ハガキが現在も展示され、文学史の現場が客室として機能する。2013 年の改修では、文化財としての佇まいを保ちつつ床暖房や和洋折衷の意匠が加えられ、過剰な復古に陥らない編集判断が効いている。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、建築への言及が突出して多く、特に「八番」「七番」など番号付き客室の畳と建具に対する評価が安定して高い。料理は但馬牛と日本海の魚介を軸とした懐石で、量より質を選ぶ層に支持される傾向が見られる。一方、エレベーターがなく階段の上下があるため、足の弱い旅人にはやや負担という声が一定数ある。
向く人 / 向かない人
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向く:
日本近代文学に関心のある旅人、木造建築そのものを目的とする滞在、城崎の外湯巡りと館内の静けさを両立したい人 -
向かない:
幼児を伴う家族(階段・畳の段差)、洋室で過ごしたい人、夕食に量を求める旅程
具体情報
- 最寄り駅: JR 城崎温泉駅から徒歩 10 分(タクシー 4 分)
- 客室: 16 室、純和室中心。志賀直哉の「いの一番(八番)」を含む
- 建物: 木造 3 階建、昭和 2 年(1927 年)再建、国登録有形文化財
- 食事: 個室または部屋食の懐石、但馬牛・日本海の魚介中心
- 外湯: 城崎 7 湯の外湯券を提供
- 創業: 江戸期、現存建物は 1927 年
2. 西村屋本館 — 兵庫県豊岡市・城崎温泉
江戸安政期創業、敷地内の離れ「平田館」は数寄屋の名匠・平田雅哉が手がけた登録有形文化財。
Media Picks Score: 93 / 100 34 室、城崎を代表する老舗旅館。
目安価格 ¥152,000–¥226,000 / 泊 (2 名 1 室・通常期)

なぜ選ばれるか
城崎温泉の中で最も古い系譜のひとつで、創業は江戸安政期にさかのぼる。敷地内の離れ「平田館」は、数寄屋建築の名匠・平田雅哉による設計で、国の登録有形文化財に指定されている。本館・新館・平田館・吉之湯と複数の建物が、回廊と中庭で連結された配置は、近代和風旅館建築の到達点のひとつと評される。茶室と書院の意匠、檜風呂と岩風呂の対比、料理の品数と所作。すべてに編集者的な目配りが効く。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、建築・庭・浴場・料理・接客のいずれも高水準で評価が分散しないのが本館の特徴である。特に平田館の客室での滞在経験は別格として言及される傾向にあり、価格帯の高さを承知のうえで再訪する層が一定割合存在する。一方、館内の段差や複雑な動線については、初訪問者がやや戸惑うという声も見られる。
向く人 / 向かない人
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向く:
数寄屋建築・近代和風建築に関心のある旅人、記念日・節目の滞在、料理から接客まで一切妥協したくない層 -
向かない:
建築よりも温泉巡りを重視する旅程、価格帯が合わない人、洋室・モダン志向の滞在
具体情報
- 最寄り駅: JR 城崎温泉駅から徒歩 7 分(送迎あり)
- 客室: 34 室、本館・離れ・新館で意匠が異なる
- 建物: 離れ「平田館」が国登録有形文化財、設計は平田雅哉
- 浴場: 露天「吉之湯」「福之湯」、庭園風呂「久之湯」の 3 箇所
- 食事: 但馬牛・松葉ガニを軸とした会席、個室または部屋食
- 創業: 江戸安政期(1858 年頃)、150 年超
3. 陶泉 御所坊 — 兵庫県神戸市北区・有馬温泉
800 年以上連続して営業を続ける有馬最古の宿。本館・新館・蔵が登録有形文化財。
Media Picks Score: 92 / 100 20 室、有馬温泉最古級の旅館。
目安価格 ¥70,000–¥164,000 / 泊 (2 名 1 室・通常期)

なぜ選ばれるか
鎌倉時代に「湯口屋」として創業し、現在まで 800 年以上連続して営業を続ける。本館・新館・ギャラリー併設の蔵が国の登録有形文化財に指定されている。谷崎潤一郎、与謝野晶子、吉川英治など、近代日本文学の主要な書き手が滞在した記録が残り、客室の一部には当時のままの建具が残る。金泉と呼ばれる含鉄塩化物泉の源泉掛け流しで、湯あたりの強さは有馬随一とされる。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、建築の重厚感、湯の濃さ、文学的来歴への評価が高い。一方、古い建物ゆえの段差や歩く距離の長さに言及する声も一定数あり、足腰の状況によっては付き添いが必要という声も見られる。料理は神戸牛と季節の山菜を軸にした懐石で、量より作り込みを重視する傾向。サービスは形式張らず、編集者と話すような距離感を保つ。
向く人 / 向かない人
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向く:
日本の温泉文化史に関心のある旅人、金泉の濃い湯を求める滞在、近代文学の足跡をたどる旅程 -
向かない:
段差・狭い廊下を避けたい旅人、近代的な設備の整った滞在を望む人、観光地巡りを優先する旅程
具体情報
- 最寄り駅: 神戸電鉄有馬温泉駅から徒歩 5 分
- 客室: 20 室、本館・別館・天楽(スイート)など複数棟
- 建物: 本館・新館・蔵が国登録有形文化財
- 温泉: 含鉄ナトリウム塩化物強塩泉(金泉)源泉掛け流し
- 食事: 神戸牛・季節懐石、個室または部屋食
- 創業: 鎌倉期(12 世紀末)、現存建物は明治・大正・昭和の混成
4. ホテル花小宿 — 兵庫県神戸市北区・有馬温泉
明治期の外国人向け旅館を写した木造の小宿、9 室。御所坊の妹宿として再生された一軒。
Media Picks Score: 91 / 100 9 室、有馬最小規模の宿。
目安価格 ¥54,000–¥80,000 / 泊 (2 名 1 室・通常期)

なぜ選ばれるか
御所坊の系列で、明治期に有馬を訪れた外国人向けに作られた小規模旅館を、現代に再生した一軒。木造の小さな建物に飴色のガラス、繊細な格子、二人用の貸切風呂のみという構成で、有馬温泉の旅館建築のもうひとつの系譜(坊舎ではなく町家・洋館折衷)を体感できる。料理は御所坊から運ばれる懐石を、各部屋で土鍋仕立てで供する。9 室という規模が、有馬の喧騒から距離を置く効果を生む。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、規模の小ささに対する評価が抜きん出て高い。貸切風呂が予約なしで使える運営、土鍋で供される料理、館内で出会う人数の少なさが、繰り返し言及される。価格帯が御所坊より抑えられている点も特徴で、有馬の文化財建築を体験する入り口として選ばれることが多い。一方、客室は標準的な広さで、広い空間を求める旅人には合わない傾向がある。
向く人 / 向かない人
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向く:
二人旅・大人 2 人の滞在、貸切風呂を時間気にせず使いたい人、有馬の文化財建築を手の届く価格で体験したい人 -
向かない:
大人数の家族旅、広い客室を望む滞在、大浴場でゆったり過ごしたい人
具体情報
- 最寄り駅: 神戸電鉄有馬温泉駅から徒歩 5 分
- 客室: 9 室、有馬最小規模
- 建物: 明治期外国人向け旅館を写した木造
- 温泉: 金泉・銀泉、貸切風呂 2 つを予約なしで利用可
- 食事: 御所坊系の懐石を土鍋仕立てで部屋にて
- 運営: 御所坊系列、姉妹館は陶泉 御所坊
5. 中の坊瑞苑 — 兵庫県神戸市北区・有馬温泉
奈良時代起源の坊舎を起点とする宿。明治元年からの中の坊旅館を、1979 年に瑞苑として再構築した一軒。
Media Picks Score: 89 / 100 50 室、有馬の中規模高級旅館。
目安価格 ¥121,000–¥183,000 / 泊 (2 名 1 室・通常期)

なぜ選ばれるか
奈良時代に温泉寺に付属して開かれた「中の坊」を起源とする、有馬最古級の系譜のひとつ。江戸時代以降は宿屋として営まれ、明治元年に中の坊旅館を建て替えた後、1979 年に瑞苑としてリブランドされた。文化財として保存されている建物そのものは限定的だが、坊舎としての歴史と作法が運営に残り、料理・接客の格式が安定している。13 歳未満の宿泊不可という方針で、大人 2 人の滞在に集中した編集姿勢が明確である。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、料理・接客・湯の質に対する評価が安定して高く、ばらつきが少ない。13 歳未満の宿泊を受け入れないという方針が、館内の静けさを担保し、大人だけの滞在を求める層に支持される。一方、建物そのものは 1979 年以降の改装が中心で、純粋な文化財建築という観点では本記事の他 4 軒に劣るという見方もある。料理長賞歴の蓄積がある夕食は、量と作り込みの双方で評価が高い。
向く人 / 向かない人
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向く:
大人 2 人の節目の滞在、料理を最重要視する旅、安定した格式とサービスを求める層 -
向かない:
家族旅(13 歳未満不可)、純粋な歴史建築を見たい旅人、価格帯が合わない人
具体情報
- 最寄り駅: 神戸電鉄有馬温泉駅から徒歩 5 分(送迎あり)
- 客室: 50 室、純和室から和洋室まで複数タイプ
- 温泉: 金泉・銀泉、大浴場と貸切風呂
- 食事: 季節の懐石(神戸牛・松葉ガニ等)、個室での提供
- 方針: 13 歳未満の宿泊不可(大人専用)
- 創業: 奈良時代起源、明治元年(1868 年)に旅館化、1979 年リブランド
よくある質問
Q. ベストシーズンはいつですか?
A. 編集部が推すのは晩秋から冬。城崎では 11 月初旬から 3 月末まで松葉ガニのシーズンが続き、有馬は紅葉から雪見の頃にかけて湯の濃さが際立つ。ただし松葉ガニ期間中は予約難度が高く、特に三木屋・西村屋本館・御所坊は早期に埋まる傾向がある。
Q. 予約のタイミングは?
A. 松葉ガニのシーズン(11 月~ 3 月)と GW・お盆・年末年始は、6 か月前から予約が動く。文化財指定の客室は供給数が少なく、特定の客室を指定する場合は 4 か月以上前を見込みたい。平日であれば 1 か月前でも空室を見つけられる。
Q. 子連れでも泊まれますか?
A. 5 軒の方針はそれぞれ異なる。中の坊瑞苑は 13 歳未満不可。三木屋・西村屋本館・御所坊・花小宿は子ども連れに対応するが、いずれも建物の段差・階段が多く、未就学児を伴う場合は事前に部屋タイプを相談することが必要となる。
Q. 有馬と城崎、どちらを選ぶべきですか?
A. 文化財建築の純度では城崎(三木屋・西村屋本館)が抜きん出る。湯そのものの濃さと歴史の長さでは有馬(御所坊・花小宿)が勝る。両方を 1 泊ずつ訪れる旅程は、京阪神からアクセスしやすい有馬を起点に、城崎特急で約 2 時間半の移動を組み込むのが現実的である。
Q. 文化財の客室は必ず指定して予約できますか?
A. 客室指定はできるが、追加料金や条件が付くことがある。三木屋の八番(旧「いの一番」)、西村屋本館の平田館、御所坊の指定客室など、希少な部屋はプランで明示されているか、電話相談が前提となる。
本記事の参考情報
・文化庁 文化財一覧 — 国登録有形文化財の制度と公式リスト
・城崎温泉観光協会 — 城崎温泉の歴史・外湯案内
・有馬温泉観光協会 — 有馬温泉の歴史・泉質情報
編集部から
5 軒に通底するのは、文化財として静止させず、現役の宿として使い続ける姿勢である。建物の保存は、所有者の経済的負担を伴いながらも、客室として収益を生み続けることで継続される。読者がこの 5 軒のいずれかに泊まる行為は、文化財建築の存続そのものに参加することでもある。次に書きたいのは、京都・奈良の文化財旅館、あるいは台湾・韓国・中国に残る日本統治期の温泉建築だろうか。