湯に浸からず、蒸気に籠る——その浴法のためだけに建てられた小さな構えを持つ宿として、編集部は3軒を選んだ。浴槽を主役に据えない浴室は、日本の温泉建築のなかでは傍流である。しかし傍流であるがゆえに、設計の目的が異様なほど明快になる。蒸気を逃さないための低い天井、人ひとりが身を屈めて入る開口、熱を伝える石と木のすのこ、そして抜けを確保する小さな越屋根。石室、箱蒸し、地熱——大分・別府鉄輪から秋田・八幡平、岩手・栗駒まで、三つの異なる解を、天井高と開口の寸法から読む。梅雨の湿気が重く沈む季節に。

宿 エリア 浴法 Score 客室 目安価格 1行特徴
後生掛温泉 秋田・八幡平 箱蒸し 93 23 ¥40–¥47k 総木造の大浴場に七つの湯。地熱を木樋で床下に通すオンドル棟を併設
須川高原温泉 岩手・栗駒 地熱 90 36 ¥31–¥38k 標高1,126m。蒸し風呂は本館になく、裏手を100m登った木造小屋にある
旅館みゆき屋 大分・別府鉄輪 石室系 88 11 ¥19–¥23k 地下蒸気ではなく、湯そのものから立つ蒸気で蒸し湯を成立させる11室

※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

湯に浸からない、という選択

温泉宿の浴室を設計するとき、最初に決まるのは湯船の寸法である。何人が入るか、深さをどうとるか、縁をどの高さで切るか。浴室の平面は、たいてい湯船から逆算して描かれる。

ところが蒸し湯には、その起点がない。湯船がないからだ。代わりに設計の起点になるのは、蒸気がどこから出て、どこへ抜けるか、という一本の線である。噴気口の位置が決まり、そこから天井までの距離が決まり、天井にたまった蒸気を逃がすための小さな開口が決まる。人が入る扉は、蒸気を逃がさないという一点において、可能なかぎり小さくなる。躙口が茶室の思想を規定したのと同じ理屈で、蒸し湯の開口の寸法は、その建物が何を大切にしているかをそのまま告げる。

結果として蒸し湯は、どこも似た姿になる。低い。狭い。暗い。そして小さい。浴場建築が近代化のなかで大型化し、高天井とガラス面を獲得していった流れと、蒸し湯だけが逆を向いている。以下の3軒は、その逆行を、それぞれ違う方法で今日まで維持している。

箱蒸し — 首から上を、外に置く

木の箱に首だけを残して身を沈める。八幡平の地熱が、浴室ではなく家具の寸法で設計された一例。

Media Picks Score: 93 / 100  23室(本館18室・新館5室/ほかにオンドル湯治部)、八幡平国立公園内の一軒宿。

目安価格 ¥40,000–¥47,000 / 泊 (2名1室・通常期)


後生掛温泉 — 秋田・八幡平 · 総木造の大浴場に据えられた伝統の箱蒸し風呂
PHOTO: 後生掛温泉 — 公式サイトを見る →

後生掛温泉の箱蒸し風呂は、建築ではなく家具に近い。総木造・高天井の大浴場——山小屋を模した構えである——の一角に、木の箱がいくつか据えられている。底から天然蒸気が噴き出し、入る者は箱に身を入れて蓋を閉じ、首から上だけを外に出す。備え付けの板を敷いて座面の高さを調整する仕組みで、身長差をその一枚が吸収する。

この「首から上を外に置く」という一点が、箱蒸しの設計思想のすべてである。蒸気が顔に直接当たらないため、のぼせにくい。石室のように部屋ごと蒸すのではなく、身体だけを蒸して頭部は常温に置く——熱の管理を、部屋の寸法ではなく箱の寸法で解いた解答だと言える。大浴場にはこのほか泥湯、火山風呂、蒸気サウナなど「七つの湯」が並び、蒸し湯だけを目的に来た者でも、湯船との比較のなかでその特異さを確かめられる構成になっている。

もう一つ、地熱の使い方が徹底している。オンドル棟では、地中の熱と蒸気を直接、あるいは木樋を通して床下に導き、床そのものを温める。室温は通年30℃以上。作務衣に着替え、バスタオルを敷いて横になるだけで、入浴に近い効果が長時間続くという考え方である。木樋というローテクな導管が、火山の熱を建物に引き込む主要な装置として現役で機能している点が、この宿を一級の温泉建築たらしめている。

具体情報

  • 所在: 秋田県鹿角市八幡平熊沢国有林内(十和田八幡平国立公園内の一軒宿)
  • 浴室: 総木造の大浴場に「七つの湯」(神経痛の湯・箱蒸し風呂・泥湯・火山風呂・蒸気サウナ・打たせ湯・露天風呂)
  • オンドル: 天然地熱と蒸気を直接/木樋で床下へ。室内は通年30℃以上、利用は通常30分〜1時間
  • 客室: 本館18室(山側・建物側)/新館5室。ほかにオンドル湯治部
  • アクセス: 東北自動車道・松尾八幡平ICからアスピーテライン経由 約1時間/鹿角八幡平ICから約45分
  • 季節: グリーンシーズンは4月下旬〜10月下旬。移行期は夜間・臨時の通行規制あり
  • 開湯: 三百余年

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    温泉建築を浴法から読みたい人、湯治の様式を一度体験したい人、車で山岳路を厭わない旅程
  • 向かない:
    公共交通のみで動く旅程(最寄り駅から予約制送迎か車が要る)、洗練された食を主目的とする滞在、積雪期の訪問

地熱 — 小屋そのものが、浴室になる

浴室が本館にない。宿の裏手を100m登った先の木造小屋、そこだけが蒸し風呂である。

Media Picks Score: 90 / 100  36室、標高1,126mの栗駒山中腹に建つ湯治宿。

目安価格 ¥31,000–¥38,000 / 泊 (2名1室・通常期)


須川高原温泉 — 岩手・栗駒山中腹 · 天然蒸気ふかし湯「おいらん風呂」の木造小屋
PHOTO: 須川高原温泉 — 公式サイトを見る →

3軒のうち、建築としてもっとも極端なのが須川高原温泉である。ここでは蒸し風呂が、宿の中にない。館内の大浴場「須川の湯」でも、30〜50人が入る大露天風呂「大日湯」でもなく、宿の裏手から登山道を100mほど登った先に建つ、小さな木造の小屋——「おいらん風呂」と呼ばれるそれが、この宿の蒸し風呂にあたる。

構えは単純を極めている。地面から噴き出す蒸気の穴があり、その上に小屋が架かっているだけ。入る者はゴザを敷き、蒸気穴をふさがない程度の位置に寝そべって、毛布に包まる。浴槽も、洗い場も、脱衣所らしい脱衣所もない。あるのは、蒸気の出る地面と、それを覆う屋根と壁だけである。浴室とは何かという問いに対して、これ以上ないほど短い答えを返している。一人用という寸法も示唆的で、この浴法が共同の設備ではなく、個の療養として発達したことを物語る。

湯そのものも際立つ。pH2.2の強酸性泉が毎分6,000L、48〜52℃で自噴する。平安前期から湯治場として知られ、1,100年以上にわたって使われてきた土地である。裏を返せば、それだけの熱量が地表に露出しているからこそ、屋根を架けるだけで浴室が成立する。建築が最小で済むのは、自然側の供給が過剰だからだ——という関係が、ここでは目に見える形で成立している。なお現在、自炊部と中浴場「霊泉の湯」は雪害の影響により休止中で、訪問前に公式サイトでの確認が要る。

具体情報

  • 所在: 岩手県一関市厳美町祭畤山国有林(栗駒山中腹・標高1,126m)
  • おいらん風呂: 宿の裏手から約100m上の木造小屋。一人用、ゴザ+毛布。利用は明るい時間帯(およそ6:00〜16:00)
  • 泉質: pH2.2の強酸性泉、泉温48〜52℃、毎分約6,000L湧出
  • ほかの浴室: 大露天風呂「大日湯」(30〜50人規模、6:00〜21:00)、木造りの大浴場「須川の湯」(24時間)
  • チェックイン: 16:00〜 / アウト 〜10:00
  • 駐車場: 普通車200台・無料
  • 注記: 自炊部・中浴場「霊泉の湯」は雪害により当面休止

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    浴室建築の原型を見たい人、栗駒山の登山・トレッキングと組む旅程、強酸性泉を目的にする人
  • 向かない:
    館内で完結する快適さを求める滞在(蒸し風呂まで登山道を歩く)、肌の弱い人、設備の新しさを重視する人

石室の系譜 — 鉄輪で、蒸気を建物に閉じ込める

地下蒸気ではなく、湯そのものから立つ蒸気で蒸し湯を成立させる。鉄輪の11室。

Media Picks Score: 88 / 100  11室(本館6室・旧館5室)、鉄輪の路地奥に建つ骨董の宿。

目安価格 ¥19,000–¥23,000 / 泊 (2名1室・通常期)


旅館みゆき屋 — 大分・別府鉄輪 · 内湯に設けられた名物の蒸し湯
PHOTO: 旅館みゆき屋 — 公式サイトを見る →

蒸し湯の本流は鉄輪にある。建治2年(1276年)に一遍上人が創設したと伝わる市営の鉄輪むし湯は、約8畳の石室に薬草・石菖を敷き詰め、地下からの噴気で室ごと蒸す。天井は低く、開口は小さく、利用は8分を目安に声がかかる。この「石室」こそが、日本の蒸し湯の原型として語られてきた構えである。

旅館みゆき屋の蒸し湯は、その系譜に立ちながら、熱源の取り方が違う。鉄輪では地下から吹き上げる蒸気を直に使うのが一般的だが、みゆき屋は温泉そのものを流し、湯から立ち上る蒸気で蒸し湯を成立させている。噴気という「地面の都合」に建物を合わせるのではなく、湯を引き回すという「建物の都合」で蒸気をつくる——同じ浴法に対する、もう一つの解き方だと言える。内湯には扇形の湯舟が併設され、浸かる湯と籠る蒸気が一室に同居する構成になっている。

宿そのものは、道路から細い路地に入り、古陶磁の並ぶ先に入口がある11室。貸切露天は2つで、臼を湯口に転用した岩露天と、湯舟と床に御影石を敷いた露天。3軒のなかでは唯一、公共交通だけで完結できる立地でもある。別府駅からバスで約25分、湯けむりの立つ町のただなかに建つ。

具体情報

  • 所在: 大分県別府市鉄輪東6組(別府八湯・鉄輪温泉)
  • 蒸し湯: 内湯に併設。地下噴気ではなく、流した温泉から立ち上る蒸気を用いる方式
  • 客室: 全11室。本館6室(8畳×3・6畳×3、ウォシュレット/洗面台付)、旧館5室(4畳半×2・6畳×3)
  • ほかの浴室: 貸切露天2つ(岩露天「長寿の湯」/御影石露天「しあわせの湯」)。すべて源泉かけ流し
  • チェックイン: 14:30〜 / アウト 〜10:00
  • アクセス: 別府駅表口からバス約25分「鉄輪」下車/別府ICから車で約7分

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    公共交通で動く旅程、鉄輪の温泉街を歩いて回りたい人、骨董や古道具に関心のある人、価格を抑えて浴法を確かめたい人
  • 向かない:
    広い客室や新しい設備を求める滞在、大浴場の規模を重視する人、館内で長く過ごす旅程

三軒に共通する、寸法という設計

並べてみると、三つの解の差は熱源の扱いに集約される。鉄輪のみゆき屋は湯を引き回して蒸気をつくり、後生掛は木箱という家具の寸法で熱を管理し、須川は地面が出す蒸気の上に屋根を架けるだけで済ませる。建築の量は、この順に減っていく。そして減れば減るほど、浴法そのものの輪郭が明瞭になる。

共通するのは、どれも「小さい」という一点である。人ひとりが屈んで入る開口、寝そべればもう余白のない床、手を伸ばせば届く天井。近代の浴場が広さと明るさを競ってきたのに対し、蒸し湯は一貫して人体の寸法に張り付いてきた。籠るという行為が、そもそも空間の余剰を必要としないからだ。茶室が四畳半以下に向かったのと、遠くない話である。

梅雨の湿気が重く沈む季節に、あえて蒸気の中へ入る。矛盾しているようで、実際には理にかなっている。外気の湿度と体感の境目が曖昧になるこの時期こそ、能動的に汗をかく浴法の効きが分かりやすい。そして低い天井の下で、身体が熱を受け取っていく過程を、余計な景色に邪魔されずに観察できる。蒸し湯の小ささは、不便ではなく、集中のための寸法である。

よくある質問

Q. 蒸し湯と、いわゆるサウナはどう違いますか?

A. 熱源と湿度が異なります。蒸し湯は温泉の噴気や湯気をそのまま用いるため湿度が高く、温度はサウナより低いのが一般的です。本稿の3軒でも、後生掛は木箱に首だけを出す方式、須川は地面の蒸気穴の上に寝そべる方式と、姿勢そのものが違います。座って耐えるのではなく、横になって籠る——その差が浴法の性格を分けます。

Q. 訪問に適した時期はいつですか?

A. 別府鉄輪は通年ですが、八幡平と栗駒の2軒は山岳路の事情に左右されます。後生掛のグリーンシーズンは4月下旬〜10月下旬で、移行期は夜間や臨時の通行規制があります。編集部が推すのは、湿度が高く蒸し湯の効きを実感しやすい梅雨から、山の空気が澄む初秋まで。積雪期の訪問は事前確認が要ります。

Q. 蒸し湯だけを目的に日帰りで利用できますか?

A. 施設により扱いが異なり、時期によっても変わります。後生掛のオンドルの日帰り利用は公式サイトの告知に条件が示され、須川のおいらん風呂は明るい時間帯(およそ6:00〜16:00)に限られます。いずれも最新の運用は各宿の公式サイトで確認するのが確実です。

Q. 3軒の価格差は何によるものですか?

A. 立地と食事の構成によるところが大きいと見られます。国立公園内や標高1,000m超の一軒宿は、輸送と季節営業の条件が価格に反映されます。鉄輪のみゆき屋が¥19,000台から始まるのは、町なかにあり客室規模も小さいためで、浴法の質とは別の軸です。目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値です。

Q. 蒸し湯は身体への負担が大きくありませんか?

A. いずれの宿も利用時間の目安を設けています。後生掛の箱蒸しは首から上を外に出すためのぼせにくい構造で、オンドルは通常30分〜1時間。須川は強酸性泉のため肌の敏感な人は短時間から試すのが無難です。体調に不安がある場合は、各宿の案内に従うのが前提になります。

本記事の参考情報

別府市|鉄輪むし湯 — 石室蒸し湯の公営施設情報
Wikipedia: 鉄輪温泉 — 鉄輪の歴史と地理の背景
Wikipedia: 後生掛温泉 — 八幡平の地熱と湯治の背景
いちのせき観光NAVI|須川高原温泉 — 一関市による一関温泉郷の案内

編集部から

この3軒を並べた基準は、浴槽の有無ではなく、蒸気に対して建物がどう応答しているか、その一点だった。石室は室ごと蒸し、箱蒸しは身体だけを蒸し、地熱の小屋は地面が出すものをただ覆う。同じ「籠る」という行為に、これだけ違う構えが与えられてきたこと自体が、温泉建築の厚みだと言える。

いずれも、豪奢とは対極にある建物である。低く、狭く、暗い。それでも記憶に残るのは、寸法が目的にまっすぐ結びついているからだろう。ところで、浴槽を持たない浴室の次に来るのは、屋根すら持たない浴室かもしれない——野天、川湯、足元自噴。境界が消えていく方向の温泉建築を、次はどう読むか。

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