瀬戸内海に浮かぶ佐木島の南西端に、デンマークの建築家集団BIG(ビャルケ・インゲルス・グループ)が日本で初めて完成させた建築が立った。2026年4月1日に運用を始めた「NOT A HOTEL SETOUCHI」である。3万平米の斜面に三棟のヴィラと一軒のレストランを置き、版築(はんちく)の土壁を島の等高線に沿って這わせる。本稿は、この話題の新規開業を販売情報としてではなく、地形と水平線をどの角度で受けるかという構造の問題として、一軒だけ精読する。読み解くのは、海への向き方そのものである。
佐木島の斜面に、海を180度・270度・360度で受ける三棟。BIGが日本で最初に建てた、角度の建築。

Media Picks Score: 94 / 100 全3棟(各4ベッドルーム)、フラクショナルオーナーシップ型の一棟貸しヴィラ。
目安価格 一般的な一泊予約の流通がないため、本稿では価格指標を扱わない(所有持分の販売を主とする運用形式のため)。
角度から始まる設計
三棟のヴィラには、それぞれ「180」「270」「360」という数字が与えられている。これは部屋数でも面積でもなく、瀬戸内海をどれだけの角度で視界に収めるかを示している。海に最も近い「180」は、海岸線そのものをなぞるように湾曲し、苔むした内庭に季節で表情を変える樹を抱える。中腹の「270」は、群島へ向けて視界を大きく開き、プールを囲んでサウナと焚き火の場を配する。最高所の「360」は環状に閉じ、守られた中庭を中心にあらゆる方位へ視線を逃がす。建築の出発点が「眺め」ではなく「角度」に置かれている点が、この計画の核と言える。海をどう見せるかではなく、地形のどの断面で海を受けるか。BIGは敷地の等高線を消さず、むしろ建築をその線に従わせた。

版築という選択
構造を担うのは、現地で掘り出した土を層状に突き固めた版築の壁である。輸入材でも打ち放しコンクリートでもなく、敷地そのものを荷重を支える素材へと変えた。湾曲する土壁は層の縞をそのまま見せ、土の色と質感に瀬戸内の気候と土地の記憶を残す。BIGはこの壁を「土地から立ち上がる構造」と位置づけ、約3万平米の敷地に対し建築面積を約2,350平米に抑えた。屋根には瓦の連なりを思わせる低反射のソーラータイルを葺き、可動式のファサードと深い庇でパッシブな環境調整を図る。雨水は集めて植栽へ回し、造成前に刈り取った在来の草を、オリーブやレモンとともに島へ返した。新規開業の華やかさの裏で、選ばれているのは終始、土地に属する素材である。
障子と畳の翻案
内部に入ると、設計の参照点がより明確になる。床に敷かれた黒いスレートは、畳の割付の幾何をそのまま石へ置き換えたもの。室内と屋外を隔てるガラスのファサードは、引いて開ける障子の論理を現代の素材で再解釈している。各ヴィラは一続きの空間として流れ、浴室と収納だけが独立したポッドに納まり、その上に開いた天窓が空への視線を確保する。日本の民家を、スカンジナビアの感性で読み替える——BIGの言う翻案は、表層の意匠ではなく、開口と床という構成の最小単位で行われている。和を引用するのではなく、和の文法を分解して組み直す。その距離感が、この建築をテーマパーク的な「日本らしさ」から遠ざけている。

滞在の体験
三棟はいずれも4ベッドルーム構成で、面積は「180」が約708平米、「270」が約746平米、「360」が約787平米。各棟にプールや水景、サウナと水風呂、露天の湯、焚き火の場が備わる。海辺にはテラス「90」が立ち、チェックインの前後に瀬戸内の水平線を眺めながら過ごす起点となる。所有者は三棟すべてに割り当てられた宿泊日数を使え、その日数を他のNOT A HOTELの滞在へ振り替えることもできる。つまりここは、単一の宿というより、所有と滞在を行き来する運用形式の一拠点である。梅雨明けの瀬戸内は、朝の凪と夕の島影が最も静かに重なる季節で、海へ開いた断面の意味が最もよく分かる時期と言える。

立地と周辺
佐木島は広島県三原市に属する瀬戸内の島で、本州側からは三原港から佐木港まで高速船で約13分、須波港から向田港までフェリーで約17分の距離にある。港からヴィラまでは車で7〜13分。NOT A HOTELは専用のラウンジから伝統的な意匠の船で渡る動線を用意し、離島でありながら到達の質を担保している。ベラビスタ境ガ浜をはじめ、瀬戸内には斜面と水平線を主題にした建築が点在するが、この島は対岸の喧噪から十分に隔たり、海と山の断面だけが残る。建築が地形に従うという主題を成立させるうえで、佐木島南西端という立地そのものが、すでに設計の一部になっている。
集約レビューが映すこの宿の本質
運用開始から日が浅く、公開レビューデータの集計はまだ厚みを持たない。それでもNOT A HOTELという運営の系譜と、フラクショナルオーナーシップという形式から、評価の輪郭は見えてくる。支持を集めるのは、客室の数や設備の豪華さではなく、土地と建築の関係を体験として差し出す姿勢である。一方で、一般的な一泊予約を前提とした旅程や、賑わいや観光の利便を求める滞在には向かない。ここで問われるのは、海をどの角度で受けるかという建築の問いに、滞在する側がどこまで応えられるか——その一点に評価が収斂していくと見られる。
こんな旅人に
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向く:
建築や現代デザインを目的に旅する人、版築や素材の手触りに反応する人、離島の静けさと地形の断面を味わいたい人、複数家族・少人数のグループで一棟を占有したい滞在 -
向かない:
一泊単位の手軽な予約を望む旅程、観光地巡りで宿に戻る時間が短い旅、賑わいや繁華な立地を求める滞在、移動を最小化したい旅程(島へは船でのアクセスとなる)
具体情報
- 所在: 広島県三原市・佐木島南西端(敷地約30,000㎡、建築面積約2,350㎡)
- 設計: BIG(ビャルケ・インゲルス・グループ)— 日本初の完成作
- 構成: ヴィラ3棟(180/270/360)+ ビーチテラス「90」
- 客室規模: 各棟4ベッドルーム、約708〜787㎡
- 主な設備: プール・水景、サウナと水風呂、露天の湯、焚き火の場、プライベートビーチ
- 構造・素材: 現地土の版築壁、黒スレート床、ガラスファサード、低反射ソーラータイル屋根
- アクセス: 三原港→佐木港 高速船 約13分/須波港→向田港 フェリー 約17分、港から車 7〜13分
- 運用開始: 2026年4月1日(運用形式はフラクショナルオーナーシップ)
Media Picks Score
94 / 100 — 評価の内訳: 立地(離島・地形断面)/設計(BIG日本初の完成作)/素材(現地土の版築)/体験(所有と滞在の往還)/編集適合度(デザイン軸への合致)。運用開始直後のため、公開レビューデータの集計値は限定的で、本スコアは建築・運営の系譜に基づく編集部の projection を多く含む。
よくある質問
Q. 一般の宿泊予約はできますか?
A. NOT A HOTEL SETOUCHIはフラクショナルオーナーシップ(持分所有)を主とする運用形式で、所有者が三棟に割り当てられた宿泊日数を使う仕組みです。一般的な一泊単位の予約サイトでの流通を前提とした宿ではありません。最新の利用方法は公式サイトで確認できます。
Q. アクセスはどうなりますか?
A. 本州側の三原港から佐木港まで高速船で約13分、須波港から向田港までフェリーで約17分です。港からヴィラまでは車で7〜13分。専用のラウンジから船で渡る動線が用意されています。
Q. 三棟のヴィラはどう違いますか?
A. 「180」は海岸線をなぞる湾曲した平面で海に最も近く、「270」は群島へ視界を開きプールとサウナ・焚き火を備え、「360」は最高所で環状に閉じ中庭を囲みます。名称はそれぞれが海を切り取る視界の角度に由来します。
Q. ベストシーズンはいつですか?
A. 編集部が推すのは梅雨明けの瀬戸内です。朝の凪と夕の島影が静かに重なり、海へ開いた建築の断面の意味が最もよく感じられます。日差しが強い時期は、深い庇と可動ファサードによるパッシブな環境調整が効きます。
Q. 設計者のBIGとはどんな建築家ですか?
A. BIG(Bjarke Ingels Group)はデンマーク出身のビャルケ・インゲルスが率いる国際的な建築設計集団です。NOT A HOTEL SETOUCHIは、同グループが日本で初めて完成させた建築にあたります。
本記事の参考情報
・三原観光navi(三原観光協会) — 佐木島・三原エリアの観光情報
・Wikipedia: 佐木島 — 島の地理・歴史の背景
・Wikipedia: ビャルケ・インゲルス — 設計者BIGの背景
編集部から
NOT A HOTEL SETOUCHIを一軒だけ精読して見えてくるのは、この建築が「眺めの良い宿」をつくろうとしていない、ということである。問いはつねに、海をどの角度で受けるかという地形の断面に置かれ、版築の壁も、障子を翻案したガラスも、その問いに従って選ばれている。話題性の高い新規開業を、販売の文脈から切り離して構造として読むと、瀬戸内という土地が建築に課した条件のほうが、むしろ主役だと分かる。次は、この島が属する瀬戸内の斜面建築の系譜を、別の一軒から辿ってみたい。あなたなら、海を何度で切り取る部屋を選ぶだろうか。