越屋根、銅板、檜皮、そして茅。湯小屋の屋根材は何種類もありながら、最も古い「茅」を選び続ける宿は、いま全国でも数えるほどになった。葺き替えの周期はおよそ20年、茅刈りも葺師も減り続ける時代に、それでも茅を継ぐという判断は、設計でも装飾でもない、経営の意志である。湯気と藁の繊維が呼吸し、軒下に湯滴が落ちる。盛夏、葺き替え直後の青萱がまだ匂う頃の3軒を、訪ね歩いた記録としてまとめておきたい。

宿 エリア Score 客室 目安価格 茅葺き構築物
旅館 玉子湯 福島・高湯 93 52 ¥36–¥51k 1868年築の茅葺き湯小屋 (本館脇に独立棟)
悠湯里庵 群馬・川場村 92 18 ¥70–¥92k 茅葺き集落型 (本館・別館・湯屋3棟)
岡本屋旅館 大分・別府明礬 90 15 ¥59–¥84k 宿前に並ぶ茅葺き湯の花小屋 (国指定重要無形民俗文化財)

※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

葺き替えという経営判断

茅は、最も古い屋根材である。縄文の竪穴住居の時代から続く素材で、銅板や檜皮、桟瓦よりも先に屋根を覆ってきた。耐久年数は概ね20年、地方によっては15年で差し替える必要がある。葺き替えには茅場の確保、刈り取り、乾燥、葺師の手配が要る。葺師は全国で数百人を切ったといわれ、茅場も自治体の保全に頼るところが多い。費用は屋根面積によるが、湯小屋一棟で数百万から一千万円規模に膨らむ。

それでも茅を選ぶ宿が、なぜ残っているのか。理由は均質ではない。文化財指定の制約による宿もあれば、屋根材を変えない方が湯気の抜けが良いと経験的に判断する宿もある。観光意匠として茅を継いだのではなく、「変えなかった」結果として茅が残った宿が、編集部の関心の置きどころだ。以下の3軒は、それぞれに違う動機で茅を継いでいる。読み比べてみると、3つの「変えない理由」が見えてくる。

1. 旅館 玉子湯 — 福島・高湯温泉

明治元年に葺かれた茅の屋根が、150年余ののちもなお湯気を吐く。乳白色の硫酸塩泉と藁の繊維が、毎日呼吸している。

Media Picks Score: 93 / 100  52室、明治元年(1868)創業の温泉旅館。

目安価格 ¥36,000–¥51,000 / 泊 (2名1室・通常期)


旅館 玉子湯 — 福島・高湯温泉 · 明治元年(1868)築の茅葺き湯小屋
PHOTO: 旅館 玉子湯 — 公式サイトを見る →

変えなかったのは「湯の通り」のため

福島市中心部から車で30分、標高750mの高湯温泉に位置する。創業は明治元年(1868)、宿の名の由来となった茅葺き湯小屋「玉子湯」は同時期に葺かれ、以来150年余の歳月を、屋根材を変えずに守り続けている。本館は何度か改修を経ているが、湯小屋だけは茅のまま。乳白色の硫黄泉(酸性・含硫黄硫酸塩泉)が、湯気とともに藁の繊維へ立ちのぼり、屋根裏で結露を起こさない。茅は呼吸する素材であり、湯気抜きの構造として理にかなう、というのが宿側の説明である。意匠ではなく、湯気の通り道を確保するために変えなかった、というところに、この宿の硬さがある。

集約レビューの傾向

公開レビューデータを集計したところ、湯小屋の佇まいと源泉掛け流しの泉質に対する評価が突出している。特に、混合栓を介さない自家源泉が、湯口から直接湯船に注がれる構造への支持が厚い。一方で、本館の客室棟は段差や階段の多い構造のため、足元に不安のある旅人には配慮が要る、という観察も散見される。料理は会津地鶏や福島の山菜を主軸とした献立で、派手さよりも素材の連なりに重心が置かれている。

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    湯屋建築を主軸に宿を選ぶ人、福島市内から半日で動ける東北の古湯を探す旅、源泉掛け流しの硫黄泉を長く味わいたい旅程
  • 向かない:
    バリアフリー前提の旅(本館は段差あり)、洋食中心の食を望む人、湯治というよりはアクティビティを軸に旅程を組む人

具体情報

  • 最寄り駅: JR福島駅から車で約30分(送迎要予約)
  • 客室数: 52室
  • 泉質: 酸性・含硫黄(硫化水素型)-アルミニウム・カルシウム-硫酸塩温泉 (源泉掛け流し)
  • 湯小屋: 明治元年(1868)築の茅葺き浴舎 (浴場名「玉子湯」)
  • 創業: 1868年(明治元年)


2. 川場温泉 かやぶきの源泉湯宿 悠湯里庵 — 群馬・川場村

湯小屋一棟ではなく、宿全体を茅葺きで構える。武尊・武尊乃湯と弘法乃湯、3つの湯屋それぞれが独立した茅葺き建築として並ぶ集落型の宿。

Media Picks Score: 92 / 100  18室、川場村の田園に点在する茅葺き集落型湯宿。

目安価格 ¥70,000–¥92,000 / 泊 (2名1室・通常期)


川場温泉 かやぶきの源泉湯宿 悠湯里庵 — 群馬・川場村 · 茅葺き屋根が点在する湯宿
PHOTO: 川場温泉 かやぶきの源泉湯宿 悠湯里庵 — 公式サイトを見る →

湯小屋でなく「茅葺き集落」を建てた宿

群馬県北部、川場村ののどかな田園のなか、茅葺き屋根が点在する。本館棟「あさま」「あかぎ」「ほたか」「こもち」(計8室)と別館「悠山」(にしやま・たしろさん・かしょうざん・あかくらやま、計10室)、そして湯屋3棟、すべてが茅葺きで構成された全18室の小さな宿だ。創業時に既存の古民家を移築する形で組み上げ、屋根材は当初から茅で統一されている。湯処は「武尊乃湯」「弘法乃湯」「里乃湯」の3棟、それぞれ独立した茅葺き構築物として配されており、湯小屋という単位ではなく、敷地全体が一つの茅葺き集落として設計されている。

集約レビューの傾向

公開レビューデータを集計したところ、田園の中の集落感、湯屋の独立感、貸切感のある滞在動線への評価が高い。1棟ごとに湯屋へ向かう動線が異なり、夜と朝で違う湯屋を巡る楽しみがある、という観察が目立つ。一方で、客室間や湯屋間の移動が屋外動線になるため、雨天時や冬季は足元への配慮が要る。料理は群馬の地野菜と上州牛を組み合わせた献立で、季節替わりの構成が支持されている。

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    建築・集落形成への関心がある旅、関越方面で日常から距離を置きたい大人2人、貸切感のある湯処を巡りたい人
  • 向かない:
    宿内移動を屋内で完結させたい旅、雨天時のアクセス前提で動く旅程、観光地巡りで宿に戻る時間が短い旅

具体情報

  • 最寄り駅: JR上越線沼田駅から車で約30分(無料送迎バス予約制)・沼田ICから車で15分

  • 客室数: 全18室 (本館8室4棟・別館「悠山」10室4棟)
  • 湯処: 武尊乃湯・弘法乃湯・里乃湯 (各棟独立の茅葺き湯屋)
  • 泉質: アルカリ性単純温泉 (pH 9.0、源泉掛け流し)
  • 立地: 川場村の田園に茅葺き棟が点在する集落型構成


3. 岡本屋旅館 — 大分・別府明礬温泉

湯小屋ではなく「湯の花小屋」が宿の象徴になる稀有な事例。江戸期から続く製法を、明治8年創業の宿が今もすぐ脇で守る。

Media Picks Score: 90 / 100  16室、明治8年(1875)創業の旅館。

目安価格 ¥59,000–¥84,000 / 泊 (2名1室・通常期)


岡本屋旅館 — 大分・別府明礬温泉 · 茅葺きの湯の花小屋を望む明治8年(1875)創業の湯宿
PHOTO: 岡本屋旅館 — 公式サイトを見る →

「浴場の屋根」ではなく「湯の花の屋根」

別府八湯の最高所、標高約400mの明礬温泉に立つ。創業は明治8年(1875)、16室の小さな宿で、青磁色の湯と地獄蒸しの食を主軸に据える。岡本屋を取り上げる理由は、湯小屋でも浴場でもない。宿のすぐ前に並ぶ「湯の花小屋」の屋根が茅で葺かれていることにある。湯の花とは、硫黄を含む温泉ガスを地中から取り出して結晶化させた入浴剤で、明礬地区では江戸期から茅葺き小屋の中で製造されてきた。茅葺きの吸湿性が結晶化に必要な湿度差を生む、というのが昔ながらの理屈だ。2006年(平成18年3月)、この製法は国の重要無形民俗文化財に指定されている。

集約レビューの傾向

公開レビューデータを集計したところ、青磁色の庭園露天風呂と、宿前に広がる茅葺き湯の花小屋群の風景に対する評価が高い。湯の花小屋から立ち上る白い湯気と、茅の屋根の質感が、別府の他のエリアにはない景観を生んでいる、という観察が散見される。料理は地獄蒸しを中心とした献立で、食材を蒸気で蒸し上げる別府独自の調理法が支持されている。一方で、明礬地区は標高があり、別府中心部からの移動を要する。連泊で街歩きを組み込みたい旅には、移動の段取りが必要になる。

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    民俗文化財や湯治文化への関心がある旅、別府の中心部とは異なる山あいの湯を求める人、地獄蒸しの食を主軸に据えた旅程
  • 向かない:
    別府中心部の街歩きを軸にした旅程、雨天時の移動を避けたい旅、温泉以外のアクティビティを多く組み込みたい滞在

具体情報

  • 最寄り駅: JR別府駅から車で約15分(亀の井バス5番APU行・41番サファリ行で約30分、明礬バス停下車徒歩1分)

  • 客室数: 16室 (一部客室に源泉掛け流し内湯付き)
  • 泉質: 酸性硫酸塩泉 (青磁色を呈する濁り湯、源泉掛け流し)
  • 茅葺き構築物: 宿前に並ぶ湯の花小屋(国指定重要無形民俗文化財、2006年指定)
  • 創業: 1875年(明治8年)


3軒の「変えない理由」

玉子湯は、湯気の通り道として茅を残した。湯小屋の換気は屋根材で完結する、という経験則が、150年以上の運用で証明されている。悠湯里庵は、湯小屋だけでなく宿全体を茅で構築するという、形そのものへの判断を下した。経年の異なる茅が同時に観察できる集落として、敷地が設計されている。岡本屋は、浴場ではなく「湯の花を結晶化させる小屋」の屋根を茅で守る。茅の吸湿性が製品の品質に直結する、という素材選択の論理が、文化財の制度によって裏付けられている。

3軒に共通するのは、茅という素材を「装飾」ではなく「機能」として扱う視線だ。意匠の継承ではなく、湯気・湿度・結晶化といった具体的な物理現象に対する素材選択として、茅は残された。葺き替えのコストや葺師の不足は、いずれの宿でも経営課題として顕在化している。それでも変えない、という判断の連なりが、結果としてそれぞれの宿の輪郭を強くしている。

よくある質問

Q. 茅葺き屋根は何年で葺き替えるのですか?

A. 一般に20年前後が目安とされる。地方の気候や屋根の向き、葺き厚によって幅があり、15年で部分補修、30年で全面葺き替えという宿もある。葺き替えには茅場での刈り取り、乾燥、葺師の手配が要り、湯小屋一棟で数百万から一千万円規模の費用がかかる。

Q. 葺き替え直後と数年経った茅では、見た目が違いますか?

A. 大きく違う。葺き替え直後の茅は「青萱」と呼ばれ、淡い緑が残る。数年で黄に色が変わり、10年を超えると黒く落ち着く。盛夏の青萱は特に鮮やかで、編集部が3軒を訪ねる時期として推す季節でもある。

Q. 3軒のうち、茅葺き湯小屋に直接入浴できるのはどの宿ですか?

A. 浴舎の屋根として茅葺きを直接体験できるのは旅館 玉子湯(浴場「玉子湯」)と悠湯里庵(湯処3棟)。岡本屋旅館の場合、茅葺きは宿前の「湯の花小屋」(製造施設)で、入浴は本館の青磁色の湯と庭園露天で楽しむ構成になる。

Q. アクセス手段は?

A. いずれも最寄り駅から車・送迎が前提となる。玉子湯はJR福島駅から車で約30分、悠湯里庵はJR沼田駅から車で約30分(無料送迎バス予約制)、岡本屋旅館はJR別府駅から車で約15分。明礬温泉行きの路線バスは岡本屋のみで利用しやすい。

本記事の参考情報

高湯温泉観光協会 — 福島・高湯温泉の歴史と泉質
大分県観光情報公式サイト「湯の花小屋」 — 明礬温泉の茅葺き湯の花小屋について
Wikipedia: 茅葺き屋根 — 茅葺きの素材・工法・葺師

編集部から

3軒を訪ね歩いて気づくのは、「茅」という言葉が一つではない、ということだ。玉子湯では湯小屋の屋根として、悠湯里庵では集落全体の構築物として、岡本屋では湯の花の製造施設として、茅は別の働きをしている。経営判断としての「変えない」は、装飾の継承よりも遥かに重い。次は、銅板葺きと檜皮葺きの湯屋についても、同じ視線で書いてみたい。屋根材という、もっとも目に入りにくい構造の選択が、宿の輪郭をどう決めているか。読者と一緒に追いかけたい話題である。

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