湯屋の屋根を、あえて茅で葺き続ける宿がある。越屋根でも、銅板でも、檜皮でもなく、日本でもっとも古い屋根材を選び直すという判断。それは意匠の問題であると同時に、二十年ごとの葺き替えと、減りゆく職人をどう抱えるかという、経営そのものの設計でもある。盛夏、葺き替えを終えたばかりの青萱が陽に光る三軒を、屋根の下から見上げてみたい。

※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。評価は公開レビューデータを集計し、立地・建築・設備を編集部が加味した参考値です。

なぜ、いま「茅」なのか

屋根の歴史をさかのぼると、茅は最下層にある。板葺き、柿葺き、檜皮葺き、瓦、そして近代の銅板やトタンへと、屋根材は耐久と防火を求めて更新されてきた。越屋根で湯気を抜き、銅板で軒を締める——温泉建築の意匠として、私たちはそうした「進んだ」手法を繰り返し取り上げてきた。だが、いちばん論じられてこなかったのは、その手前にある茅である。

茅、正確には萱(ススキやヨシ)で葺いた屋根は、断熱と調湿にすぐれ、湯気の立ちこめる浴舎とは相性がよい。呼吸する屋根、と職人は言う。反面、二十年ほどで葺き替えを要し、萱場の確保と葺き手の技術が欠かせない。維持のコストは、瓦や銅板の比ではない。それでも茅を選び直す宿は、意匠のためというより、土地の記憶を建築として残すために葺いている。以下の三軒は、その判断を屋根の上に掲げている。

三つの茅葺きの湯屋を訪ねて

鶴の湯温泉 — 秋田・乳頭温泉郷

乳白の湯の向こうに、茅葺きの湯屋が霞む。乳頭温泉郷でもっとも古い、藩政期からの湯宿。

Media Picks Score: 93 / 100  登録有形文化財の本陣を擁する、乳頭温泉郷の湯宿。


鶴の湯温泉 — 秋田・乳頭温泉郷 · 茅葺きの湯屋と湯気に霞む乳白の露天
PHOTO: 鶴の湯温泉 — 公式サイトを見る →

およそ1688年、元禄のはじめには湯宿としての記録が残るという、乳頭温泉郷の最奥である。長屋のたたずまいを今に伝える茅葺きの本陣は、国の登録有形文化財。萱を厚く重ねた寄棟の下に囲炉裏が切られ、その先に湯屋が続く。名物の白湯は硫黄を含む乳白色で、混浴露天の湯面から立つ湯気が、茅の軒とひと続きになって山あいへ抜けていく。板でも銅でもなく茅を戴くことで、湯屋は景色の一部になりきっている。青萱の照る盛夏よりむしろ、萱が飴色に落ち着いた頃の静けさが、この宿の本領と言える。

かやぶきの源泉湯宿 悠湯里庵 — 群馬・川場温泉

各地の茅葺き民家を移し、離れとして再生した湯宿。夏の長屋門の青萱がひときわ映える。

Media Picks Score: 88 / 100  全棟に露天を備える、川場温泉の茅葺き湯宿。

目安価格 ¥70,000–¥91,000 / 泊 (2名1室・通常期)


悠湯里庵 — 群馬・川場温泉 · 夏空に映える茅葺きの長屋門と青萱の稜線
PHOTO: 悠湯里庵 — 公式サイトを見る →

武尊の裾野、川場の田園に構える湯宿は、各地から集めた茅葺きの古民家を移築・再生して離れとした一群である。写真の長屋門をはじめ、幾棟もの萱屋根が敷地に連なり、その稜線が空を切る。泉質はアルカリ性単純泉、pH9.2の柔らかな湯で、離れにはそれぞれ露天が付く。近代の別荘建築が銅板や瓦へ向かった土地で、あえて茅を葺き継ぐという選択は、材の由来ごと空間へ引き受ける意思の表れと言える。葺き替え直後、青みを帯びた萱が夏光に透ける時季は、屋根そのものが季節の器になる。

ひのき風呂の宿 分家 — 福島・岩瀬湯本温泉

白壁と茅葺きの曲がり屋に、総檜の湯を守る一軒。客室はわずか四室。

Media Picks Score: 91 / 100  1841年創業、曲がり屋形式を今に残す岩瀬湯本の小宿。

目安価格 ¥42,000–¥48,000 / 泊 (2名1室・通常期)


分家 — 福島・岩瀬湯本温泉 · 白壁に茅葺きの曲がり屋、夏空の下の外観
PHOTO: 分家 — 公式サイトを見る →

1841年、天保の頃から客を迎えてきた岩瀬湯本の一軒宿。戊辰の後に建て直したという曲がり屋形式の母屋は、白い漆喰壁と厚い茅葺きが対になり、日本の原風景をそのまま切り取ったような佇まいである。客室は趣の異なるわずか四室。総檜の浴槽に源泉を惜しみなく掛け流し、その湯が守られているのは、ほかならぬ茅葺きの屋根の下である。八室に満たない規模で萱を葺き継ぐことは、経営としては明らかに重い。それでも屋根を替え続ける小さな決断が、湯の温度や軒の雫の音まで、この宿の質感を決めていると感じられる。

葺き替えという、静かな設計

三軒に共通するのは、屋根が「完成品」ではないという前提である。茅葺きはおよそ二十年で葺き替えを迎え、それまでの間も差し茅で手を入れ続ける。萱を刈る野、束ねる技、葺く職人——そのいずれもが年々細っていくなかで、周期そのものを経営の中に組み込むという判断は、意匠図には描かれない設計だと言っていい。銅板であれば半世紀は放っておける屋根を、あえて二十年ごとに更新し続ける。その選択の重さこそが、湯屋の空気の密度に還っている。

湯気と萱が触れ合う軒下では、雨あがりに雫がひとつずつ落ちる音がやけに近い。屋根が呼吸しているからだ、と言えば感傷にすぎるかもしれない。それでも、最古の屋根材を選び直した宿の湯に身を沈めると、材の判断が体験の質へと直結していることが、理屈より先に伝わってくる。

本稿で触れた宿

宿 エリア Score 目安価格 屋根の主題
鶴の湯温泉 秋田・乳頭 93 要問合せ 登録有形文化財の茅葺本陣と湯屋
分家 福島・岩瀬湯本 91 ¥42–¥48k 白壁と茅葺きの曲がり屋、総檜の湯
悠湯里庵 群馬・川場 88 ¥70–¥91k 移築再生した茅葺き民家群と離れの露天

よくある質問

Q. 茅葺きの湯屋がもっとも美しいのはいつですか?

A. 葺き替え直後、青みの残る萱が陽に透ける盛夏(おおむね7〜8月)が一つの見頃です。飴色に枯れた萱の落ち着きを味わうなら、晩秋から冬の澄んだ空気の時季も編集部が推す季節です。

Q. 三軒はどのくらいの規模の宿ですか?

A. いずれも小規模な一軒宿です。分家は趣の異なる四室、悠湯里庵は露天付きの離れが数棟、鶴の湯温泉は本陣ほか複数棟に客室が分かれます。静けさを主題にした滞在に向きます。

Q. 茅葺きの屋根は温泉と相性が良いのですか?

A. 萱は断熱と調湿にすぐれ、湯気のこもる浴舎とは古くから相性が良い素材とされます。反面、二十年ほどで葺き替えが必要で、維持には萱場と職人の技術が欠かせません。

Q. アクセスは?

A. 鶴の湯温泉は秋田・田沢湖方面から乳頭温泉郷へ、悠湯里庵は関越道・沼田IC方面から川場村へ、分家は東北道方面から岩瀬湯本へ向かいます。いずれも山あいのため、冬季は道路状況の確認が要ります。

本記事の参考情報

Wikipedia: 茅葺 — 屋根材としての茅・萱と葺き替えの背景
Wikipedia: 乳頭温泉郷 — 鶴の湯温泉を含む温泉郷の歴史・地理

編集部から

越屋根で湯気を抜き、銅板で軒を締める——温泉建築を語るとき、私たちはつい「更新された」意匠へ目を向けてきた。だが今回の三軒は、その反対の方向、すなわち最古の屋根材を選び直すという判断で、湯屋の質を決めていた。茅を葺き続けることは、意匠であると同時に、萱場と職人を抱え、二十年の周期を経営に組み込むという静かな設計である。屋根の下で湯に身を沈めながら、あなたなら、この重さをどんな時間として受け取るだろうか。

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