露天風呂を囲む岩は、転がして並べたものではない。庭石を据えるのと同じ作法で、主石と添石の据わりを決め、天端の高さを揃え、湯面と石肌が触れる際の見切りまでを設計している——そういう浴場が、全国に数えるほど存在する。本稿では、湯を溜めることと自然石を組むことが一体で考えられた三軒を、庭師の手仕事として読み解く。梅雨が明け、湿りを残した石が陽を受けて色を変える季節は、岩組の表情がもっとも豊かになる時期でもある。庭と温泉、双方に目の利く読者へ向けた、石組みをめぐる小さな観察記である。

※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

1. 強羅花壇 — 神奈川県・箱根強羅

旧閑院宮別邸の跡地に建つ四十一室。湧き出す自家源泉を庭の地形ごと囲い込んだ、石組みの本格を読む一軒。

Media Picks Score: 93 / 100  41室、数寄屋系の高級旅館。

目安価格 ¥166,000–¥265,000 / 泊 (2名1室・通常期)


強羅花壇 — 箱根強羅 · 旧閑院宮別邸跡に建つ自家源泉の浴場と数寄屋建築
PHOTO: 強羅花壇 — 公式サイトを見る →

強羅の斜面に湧く源泉を、地形の落差ごと囲い込んだ浴場である。岩は、湯を溜めるためだけに置かれてはいない。湯舟の縁を成す石は、庭で言うところの主石・添石の関係で据えられ、天端の高さは湯面とほぼ揃えられている。湯が満ちると石の輪郭が水面で切れ、引くと濡れた石肌が現れる——その際の表情まで計算された据え方が読み取れる。傾斜地という強羅特有の条件が、平坦地では得られない立体的な石組みを許している点も見逃せない。三本の源泉のうち二本を庭園内に持つという出自が、湯と石を一体で扱う設計思想の前提になっている。

集約された宿泊者の評価では、建築と庭、そして料理の三点に対する支持が安定して高い。静けさと所作の丁寧さを評価する声が目立つ一方、価格帯と格式の高さから、滞在の様式そのものに身を委ねられるかどうかで印象が分かれる傾向も見て取れる。賑わいや手軽さを求める旅程には、おそらく向かない一軒である。


2. あさば — 静岡県・修善寺

能舞台「月桂殿」を池に映す十七室。庭の作法が水辺と湯の双方を貫く、修善寺の老舗。

Media Picks Score: 91 / 100  17室、能舞台を擁する老舗旅館。

目安価格 ¥273,000–¥400,000 / 泊 (2名1室・通常期)


あさば — 修善寺 · 池に面した能舞台「月桂殿」と庭園を持つ老舗旅館
PHOTO: あさば — 公式サイトを見る →

修善寺の谷に開いた宿坊を起源とし、明治後期に東京から能舞台「月桂殿」を移築した。この宿を語るとき、まず池庭が立つ。舞台は池に張り出し、水面が舞台を二重に映す。その水を扱う作法が、浴場の石組みにも連続している点が、ここを本稿に選んだ理由である。湯を囲む石は、池の汀に据えられた石と同じ感覚で選ばれており、水と石が出会う際——汀線——の処理に庭の手が入っている。石の天端で水を切るのか、石を水中に沈めて水位を曖昧にするのか。その選択が、湯舟と池とで一貫している。水辺の石を据える技術を、そのまま湯の縁へ持ち込んだ宿だと言える。

集約された評価では、芸能を擁する文化的厚みと、十七室という規模の落ち着きへの支持が際立つ。三方を渓に囲まれた立地ゆえ、静寂を求める滞在には深く応える一方、移動や周辺観光の利便を主に置く旅程とは噛み合いにくい。価格帯は本稿の三軒で最も高く、滞在そのものを目的に据えられるかどうかが分かれ目になる。


3. べにや無何有 — 石川県・山代温泉

全十六室が山庭に向き合う加賀の宿。庭の苔と石を、客室露天の縁まで連続させた一軒。

Media Picks Score: 89 / 100  16室、山庭を抱く高級旅館。

目安価格 ¥152,000–¥230,000 / 泊 (2名1室・通常期)


べにや無何有 — 山代温泉 · 山庭に面した全室温泉露天と苔・石組みの設計
PHOTO: べにや無何有 — 公式サイトを見る →

「無何有」は荘子に由来し、何もないことの豊かさを指す。その思想どおり、十六室すべてが余分な装飾を削ぎ、山庭へ正対するように据えられている。庭と建築の境界が意図的に曖昧にされ、室内から見える石と苔は、客室露天の縁まで途切れずに連続する。湯を囲む石は、庭の地被——苔——と地続きに置かれており、石の根締めに苔が回り込む。この「石を庭に埋め込む」据え方は、石を見せるための展示ではなく、石を風景へ沈めるための作法である。湯から見上げる山庭と、足元の石組みとが同じ素材感で結ばれているため、浴場の縁がどこで終わるのかが判然としない。境界を消すことが、ここでの作庭の主題になっている。

集約された評価では、全室の温泉露天と山庭の静けさ、そしてミニマルな設計への支持が一貫している。装飾を削いだ空間ゆえ、華やぎや賑わいを求める滞在とは距離がある。加賀・能登の食材を用いた料理と、薬草を調合するスパが滞在の軸を成しており、ものを減らした環境にこそ価値を見出す旅程に深く向く一軒である。


よくある質問

Q. 露天風呂の「岩組を作庭として読む」とは具体的にどういうことですか?

A. 湯を囲む石を、庭園で庭石を据える文法——主石と添石の関係、天端の高さ、水と石が触れる汀線の処理——に照らして観察することを指します。三軒はいずれも、石を機能的に並べるのではなく、庭石を据える作法で湯舟の縁を構成している点が共通します。

Q. 梅雨明けの時期を本稿が推す理由は?

A. 湿りを残した石が強い光を受けると、石肌の色と凹凸、苔の階調がもっとも豊かに現れるためです。岩組の立体感を読むには、影が深く落ちる夏の晴天が適しています。編集部が観察に推す時期です。

Q. 三軒の価格帯はどの程度ですか?

A. 1泊2名・通常期で、べにや無何有が約¥152,000〜¥230,000、強羅花壇が約¥166,000〜¥265,000、あさばが約¥273,000〜¥400,000です。いずれも公開販売価格の集計に基づく参考値で、季節により変動します。

Q. 客室露天と大浴場、どちらで岩組を見るべきですか?

A. べにや無何有は全室に温泉露天があり、客室の縁で庭と石の連続を読めます。強羅花壇とあさばは大浴場・露天で主石・添石の据わりが明瞭です。庭の文法を追うなら、まず広い露天で全体の地割りを把握するのが読み解きやすい手順です。

本稿の参考情報

箱根町観光協会 — 箱根・強羅エリアの観光情報
Wikipedia: 作庭 — 庭石・石組みの作法の背景

編集部から

湯を囲む岩組は、宿の意匠のなかで最も見過ごされやすい部分である。多くの旅人は湯に浸かることに集中し、足元や縁の石が誰の手で、どんな作法で据えられたかまでは目を向けない。だが、本稿の三軒のように、庭石の文法が湯の縁にまで及んでいる宿では、浴場そのものが一つの庭として立ち上がる。主石の据わり、汀線の処理、苔と石の連続——それらを読み解く視点を一度手にすれば、次に訪れるどの露天でも、石の据え方が違って見えてくるはずである。あなたが最後に浸かった露天の岩は、果たして「置かれて」いただろうか、それとも「据えられて」いただろうか。

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