夏支度を施す高級旅館を、編集部が五軒選んだ。襖を簾戸へ、障子を葦戸へ。六月下旬から九月中旬、数寄屋普請の宿は建具をまるごと入れ替える。年に二度、宿が物理的に姿を変える日本独自の年中行事である。本稿は意匠論ではなく、その作法を建築から読む。

# 旅館 エリア Score 客室 目安価格 建具入替の特徴
1 俵屋旅館 京都・麸屋町 95 18 非公開 数寄屋普請の頂点。指名建具屋による全室入替
2 柊家 京都・麸屋町 94 28 ¥190k–¥276k 登録有形文化財。本館・別館で段階的に入替
3 西村屋本館 城崎温泉 92 34 ¥171k–¥227k 平田雅哉棟梁数寄屋。建具屋は二代継承
4 あさば 修善寺温泉 92 17 ¥279k–¥440k 能舞台前面に葦戸。池の蒸気との関係
5 陶泉 御所坊 有馬温泉 88 20 ¥73k–¥186k 谷崎潤一郎ゆかり。御簾の差し入れに重点
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※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)。俵屋旅館は OTA 経由の販売を行わないため公開データなし。

1. 俵屋旅館 — 京都・麸屋町

麸屋町通の中央、十八室。建具入替を年中行事として運用する数寄屋普請の象徴的な一軒。

Media Picks Score: 95 / 100  18室、数寄屋普請の老舗料理旅館。

目安価格 公開データなし / 直接予約のみ、OTA 流通なし


俵屋旅館 — 京都市中京区麸屋町 · 320年続く数寄屋普請の料理旅館
PHOTO: 俵屋旅館 — 公式サイトを見る →

なぜ選ばれるか

1700 年頃の創業、現在の建物の主要部は明治から大正、増改築は十一代当主・佐藤年が監修した数寄屋普請である。襖、障子、簾戸、葦戸、御簾——客室二十七室分の建具を入れ替える年中行事を、現在も中断なく継続している宿は、この国に数えるほどしかない。指名の建具屋一軒が代々全数を扱う固定契約。価格は公開しない方針で、客は紹介か直接予約に限られる。

集約レビューの傾向

公開レビューデータを集計したところ、特定の客室名を挙げる感想が多く、再訪率の高さが見て取れる。具体評は意匠の細部——欄間、襖絵、卓——に集中し、料理は土地の素材を抑えた構成への肯定が並ぶ。逆に、過剰な演出や接客上の劇場性を期待した層からは、地味だという評がわずかに混じる。編集部の読み——これは商品としてではなく、生活の様式として宿を成立させているからである。

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    数寄屋建築を体感で確かめたい人、京都に複数回滞在経験のある層、紹介や予約代行を厭わない宿選び
  • 向かない:
    初回京都旅で観光効率を優先する人、明朗な OTA 経由予約を好む人、料理に派手な現代演出を求める層

具体情報

  • 最寄り駅: 京都市役所前駅から徒歩 5 分(京都駅からタクシー 15 分)
  • 客室数: 18室(増改築段階で公称は流動)
  • 建具入替時期: 6月下旬〜7月上旬に夏建具へ、9月下旬に冬建具へ戻す
  • 食事: 朝食・夕食ともに部屋出しの京会席
  • 創業: 元禄頃 (1700 年前後)
  • 予約: 公式 the-tawaraya.jp 経由が原則、OTA 流通なし


2. 柊家 — 京都・麸屋町

文政元年創業、二十八室。本館は登録有形文化財。建具入替を本館と新館で別日程で実施する。

Media Picks Score: 94 / 100  28室、木造二階の本館 (有形文化財) + 2006年新館。

目安価格 ¥190,000–¥276,000 / 泊 (2名1室・通常期)


柊家 — 京都市中京区麸屋町姉小路 · 1818年創業、本館は登録有形文化財
PHOTO: 柊家 — 公式サイトを見る →

なぜ選ばれるか

文政元年 (1818) 創業、川端康成・三島由紀夫が逗留した宿として知られる。本館は木造二階の数寄屋普請、新館は 2006 年に鉄筋三階の現代和風で別棟化された。建具入替の年中行事は本館で原型を保ち、新館側は素材の現代化に応じた簡略形を採る。本館の入替は六月最終週、新館は梅雨明け後と、二棟で別日程に切り分ける運用。建具屋は祇園の指物師との戦後からの取引で、こちらも事実上の固定契約である。

集約レビューの傾向

公開レビューを集約すると、本館宿泊者は建具・襖絵・床の間の評価が突出して高く、新館宿泊者はバスルームの設備・空調の安定性を挙げる。「両棟で別の宿のよう」という評が多いのは、建具入替の度合いがそのまま空間の質感に直結しているためと読める。料理は懐石主体で土地素材への評価が安定。再訪時に「次は本館を」と書く層が多い。

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    文化財建築での宿泊体験を求める人、本館・新館の比較で建具の機能差を確かめたい層、文豪ゆかりの宿に関心のある旅
  • 向かない:
    段差・狭い階段が負担になる旅程、本館の冷房に過度な期待を持つ夏旅、洋食中心の食を望む層

具体情報

  • 最寄り駅: 京都市役所前駅から徒歩 4 分
  • 客室数: 本館・別館・新館の複数棟構成
  • 建具入替時期: 本館 6 月最終週、新館 7 月上旬
  • 食事: 部屋出しの京会席(朝・夕)
  • 創業: 1818年 (文政元年)


3. 西村屋本館 — 城崎温泉

安政年間創業、三十四室。平田雅哉棟梁の数寄屋を、二代続く建具屋が夏支度で組み替える。

Media Picks Score: 92 / 100  34室、平田雅哉棟梁の数寄屋普請、関西屈指の老舗温泉旅館。

目安価格 ¥171,000–¥227,000 / 泊 (2名1室・通常期)


西村屋本館 — 兵庫県豊岡市城崎町 · 安政創業、平田雅哉棟梁による数寄屋普請
PHOTO: 西村屋本館 — 公式サイトを見る →

なぜ選ばれるか

安政六年 (1859) 創業、城崎温泉の中心、城崎開湯伝説に連なる立地。本館主要部は昭和の名棟梁・平田雅哉の数寄屋で、廊下と中庭で連続する複数棟構成のため、建具入替は計画工程が宿のなかで最も大きい。建具屋は地元豊岡の指物師二代目、入替期間中は弟子を含む五名が二日半をかけて全棟を回る。夏建具の倉は本館北側、土壁の蔵で湿度六十%前後を保つ運用。

集約レビューの傾向

公開レビュー集約では、建物の経年と手入れの両立への評価が安定して高い。「磨き込まれた廊下の冷たさ」「葦戸越しの中庭の音」といった、夏季の建具入替後にしか得られない体感への言及が、七月から九月の宿泊者の感想に集中する。料理は但馬牛・松葉ガニの郷土素材で、品数より素材の質を重視する構成への支持が強い。混雑期の動線への小さな指摘が散見される。

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    平田雅哉数寄屋の代表作を実体験したい人、城崎の外湯巡りと組み合わせる旅、複数棟の連続する数寄屋を歩いて確かめたい層
  • 向かない:
    段差なし・完全バリアフリーが必要な旅程、宿の中だけで完結する滞在を望む層、現代的なバスルーム設備を必須とする人

具体情報

  • 最寄り駅: JR 城崎温泉駅から徒歩 8 分
  • 客室数: 34 室(複数棟・中庭で連続)
  • 建具入替時期: 7 月第一週、戻しは 9 月最終週
  • 食事: 部屋出しまたは食事処の会席(但馬牛、冬は松葉ガニ)
  • 創業: 1859 年 (安政六年)
  • 外湯: 七つの外湯すべて宿から徒歩圏

建具の維持に関する備考

平田雅哉の数寄屋は、各棟ごとに建具の寸法と材が微妙に異なる。本館一階の客室では杉柾の框に薄縁の簾戸、二階では竹の桟を用いた葦戸を使うなど、棟ごとの「夏の顔」が違う。入替工事の二日半は宿側の客室稼働を絞り、建具屋の作業空間を確保する。これが城崎温泉のなかで西村屋本館だけが標準稼働日数を六月最終週から削るスケジュールを公表している理由である。


4. あさば — 修善寺温泉

天保創業、十七室。池の中央に能舞台「月桂殿」。葦戸越しの薪能が、修善寺の夏である。

Media Picks Score: 92 / 100  17室、Relais & Châteaux 加盟、池中央に能舞台「月桂殿」を擁する数寄屋普請。

目安価格 ¥279,000–¥440,000 / 泊 (2名1室・通常期)


あさば — 静岡県伊豆市修善寺 · 天保創業、池中央の能舞台「月桂殿」と数寄屋客室
PHOTO: あさば — 公式サイトを見る →

なぜ選ばれるか

天保元年 (1830) 年に現当主家による継承、Relais & Châteaux 加盟は日本初。約六百坪の池の中央に能舞台「月桂殿」、その正面に客室棟が並ぶ独自の伽藍配置を採る。建具入替の最大の見どころは、池に面した客室の障子が葦戸に替わる六月下旬、池の蒸気と笹鳴りが座敷に通る瞬間である。能舞台での薪能は七月最初の週末に催され、客室は葦戸越しに能を観ることを意図して設計されている。

集約レビューの傾向

公開レビューの集約では、池と能舞台を眺める客室タイプへの評価が特に高い。「葦戸越しの月桂殿が記憶に残る」「水音と虫の音が、夏の障子なら遮られてしまう」という構造的な感想が並ぶ。料理は伊豆の海と山の素材を扱う懐石、酒の品揃えは地酒中心の編集が支持される。アクセスについては、東京から二時間半という近さに対する驚きと、修善寺駅からの送迎運用の評が安定している。

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    能・薪能に関心のある層、首都圏から数寄屋普請を二泊で体感したい人、写真好きな旅人(葦戸越しの能舞台は六月下旬以降の限定景)
  • 向かない:
    賑やかな温泉街での街歩きを期待する旅程、修善寺自体の温泉に強くこだわる人(あさばは独自源泉で外湯巡りは含まない)、子連れの長期滞在

具体情報

  • 最寄り駅: 伊豆箱根鉄道 修善寺駅からタクシー 8 分(送迎あり)
  • 客室数: 17 室(池側 / 山側で建具入替の効果が異なる)
  • 建具入替時期: 6 月下旬に葦戸へ、9 月中旬に障子へ戻す
  • 食事: 部屋出しまたは食事処の伊豆懐石
  • 創業: 1830 年 (天保元年)、Relais & Châteaux 加盟は日本初
  • 能舞台: 月桂殿、明治後期に東京から移築

建具入替と能舞台の関係

あさばで葦戸を立てる目的は通気だけではない。池の音、月桂殿の鼓の残響、笹の葉擦れを、客室の鴨居・敷居を超えて座敷に取り込むための「音の建具」として葦戸が機能する。冬の障子は閉じれば景観を切るが、夏の葦戸は閉じても景観を編集して残す。能舞台のある宿は他にも存在するが、客室との位置関係まで含めて建具入替を統合した運用は珍しい。これがあさばを単なる温泉旅館ではなく、年中行事を伴う数寄屋建築群として捉え直す根拠である。


5. 陶泉 御所坊 — 有馬温泉

鎌倉期から続く有馬最古、二十室。御簾の差し入れに重点を置く夏支度の宿。

Media Picks Score: 88 / 100  20室、鎌倉期からの有馬最古、谷崎潤一郎の逗留先。

目安価格 ¥73,000–¥186,000 / 泊 (2名1室・通常期)


陶泉 御所坊 — 兵庫県神戸市北区有馬町 · 鎌倉期創業、有馬最古の温泉宿
PHOTO: 陶泉 御所坊 — 公式サイトを見る →

なぜ選ばれるか

鎌倉期の創業を伝える有馬最古の宿のひとつ、谷崎潤一郎・吉田五十八が逗留した記録が残る。客室は新旧の棟が中庭で接続される構成で、本館の建具入替は襖・障子の取替よりも「御簾の差し入れ」に重点を置く。御簾は襖の代わりに鴨居から下げるか、欄間に水平に渡して、座敷と廊下、座敷と次の間との空気の境界を視覚的に編集する。建具屋は神戸市内の指物師との取引で、御簾の補修・新調は隔年で実施される。

集約レビューの傾向

公開レビューの集約では、湯の色(鉄分を含む金泉の赤茶)と内湯の意匠、料理の素材選びへの評価が中核を占める。建具については「夏の御簾越しの照明が美しい」という具体評が複数の客室タイプで確認される。価格帯が他の四軒より幅広く、宿泊プランによる満足度の分散は他より大きい。建物が複数棟・複数年代の混成のため、客室タイプ選択が体験を左右する。

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    関西から週末で京都老舗と並ぶ歴史宿を訪ねたい層、谷崎潤一郎・吉田五十八に関心のある層、御簾・葦戸の細部を見たい人
  • 向かない:
    客室タイプの差を比較せずに予約する人(満足度が分散する)、銀泉のみを期待する旅、複数棟の段差が負担になる旅程

具体情報

  • 最寄り駅: 神戸電鉄 有馬温泉駅から徒歩 5 分
  • 客室数: 20 室(複数棟・複数年代の混成構成)
  • 建具入替時期: 6 月下旬〜7 月上旬、御簾の差し入れを中心に実施
  • 食事: 兵庫の素材を用いた山家料理(部屋出しまたは食事処)
  • 湯: 自家源泉、含鉄塩化物泉(金泉)
  • 創業: 鎌倉期 (湯口屋として開業、800 年超の伝承)


よくある質問

Q. 建具入替の時期に宿泊することはできますか?

A. 入替工事日(標準で 6 月下旬〜7 月上旬の二〜三日)は宿側で客室稼働を絞る運用が一般的で、五軒とも公式予約画面で当該日を販売しない設定にしている。入替直後の七月第一〜第二週は、葦戸・御簾が新しい組み込みのまま稼働するため、編集部が推す時期である。

Q. なぜ建具入替を続ける宿が限られるのですか?

A. 建具数百枚を保管する蔵が建物の坪数を圧迫し、固定契約の建具屋を維持する人件費が宿の運営に常時かかる。OTA 主体の宿は工事日に稼働を絞ることがコスト的に困難で、入替を簡略化する傾向にある。本稿の五軒は、いずれも直販比率が高いか、固定の常連を持つ宿である。

Q. 御簾と簾戸は何が違うのですか?

A. 簾戸(すど)は建具枠に簾を張った夏用の戸で、襖の代わりに開口部に立てる。御簾(みす)は枠を持たず、鴨居や欄間から下げる吊り建具で、視線を遮らず空気の境界だけを示す装飾性の高い建具である。本稿の五軒では、京都の二軒が簾戸主体、有馬の御所坊が御簾主体、城崎と修善寺が葦戸(よしど)主体で、土地と建築様式に応じて使い分けが異なる。

Q. 建具屋との契約はどう違いますか?

A. 五軒のうち俵屋・柊家・西村屋本館・あさばが事実上の固定(指名)契約、御所坊が複数指物師との輪番に近い運用である。固定契約は数寄屋の細部寸法を熟知した職人を一軒で抱え込むコストの対価として、建具の質を維持する仕組み。輪番は工事規模が大きく一軒に依頼しきれない場合の選択肢になる。

Q. インバウンド客でも建具の意味は伝わりますか?

A. 五軒とも英語による事前説明資料を備え、夏建具・冬建具の写真と用途を館内で開示している。Relais & Châteaux 加盟のあさば、西村屋本館は海外向け広報の蓄積があり、特に建築主題での宿泊予約が増えている。建具の名称は和英対照で覚えれば、宿の体感が大きく変わる。

本記事の参考情報

JNTO 日本政府観光局 — 数寄屋建築・伝統旅館の海外向け広報資料
Wikipedia: 数寄屋造り — 数寄屋普請の建築史的位置づけ
Wikipedia: 建具 — 襖・障子・簾戸・葦戸・御簾の分類

編集部から

五軒に通底するのは、建築としての宿を「保存」ではなく「運用」している点である。建具入替は美意識の表明ではなく、湿度・通気・採光・音の物理的条件に応じて建具を入れ替える、合理的な年中行事として残る。価格は数寄屋の維持コストと連動するため、編集部は「安いから割引」「高いから損」という判断軸を採らない。次に書きたいのは、同じ五軒の冬支度——簾戸を襖に戻し、欄間に雪見障子を組み込む彼岸明けの作法である。読者の旅程が、夏と冬で別の宿を訪ねる契機になればと思う。

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