京都・西陣の聚楽第跡から掘り出された黄褐色の土を中塗りに用いる聚楽壁は、桃山以降の数寄屋建築の到達点として今も茶室と旅館の壁を支える技法である。編集部が選んだ5軒は、京都・金沢・松江という三つの左官文化圏で、聚楽壁と土壁の判断を今も手放していない宿である。表層を磨くか、鏝を効かせて残すか、あるいは漆喰へ寄せるか。梅雨明け前から盛夏にかけて、湿度と光の入り方で表情が変わる土壁を、実際に泊まって読む季節に選ぶ。
| # | 宿 | エリア | Score | 客室 | 目安価格 | 土壁の判断 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 俵屋旅館 | 京都・中京 | 95 | 18 | — | 中塗り仕舞い、鏝目を残す |
| 2 | 吉田山荘 | 京都・左京 | 94 | 11 | — | 登録有形文化財、上塗り磨き |
| 3 | 佳水園 | 京都・東山 | 93 | 20 | — | 村野藤吾の数寄屋、白土上塗り |
| 4 | 浅田屋 | 金沢・十間町 | 92 | 5 | ¥205–¥247k | 加賀の朱土、中塗り艶消し |
| 5 | 漆喰の宿 天神 | 松江・天神町 | 90 | 5 | — | 蔵の白漆喰を客室に転用 |
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。データが不足する宿は「—」表記としています。
1. 俵屋旅館 — 京都・中京
1704年創業。京の御三家のうち、土壁の中塗り仕舞いを最も忠実に残す一軒として編集部が推す。
Media Picks Score: 95 / 100 18室、京町家型旅館。

なぜ選ばれるか
俵屋の壁は上塗りを磨き上げず、中塗りで意図的に止める。西陣の聚楽土を含む黄褐色の色土と、京都近郊の稲藁を刻んで混ぜる工法を、11代目主人以降も外部の左官職人任せにせず、客室ごとに配合を変えて継承している。結果として、床の間側と縁側寄りで壁色が微妙に違う。数寄屋の教科書通りではなく、宿としての実用と、桃山以降の土壁意匠の中間点を狙う判断だ。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計したところ、俵屋への評価は「値段の高さは織り込み済みで、それでもなお静けさと部屋の質が上回る」という構造で一貫している。食事、寝具、風呂の設え、いずれも突出した項目はないが、突出した欠点もない。宿泊者の中に建築関係者が一定割合含まれる点は、他の京都御三家と比べても特徴的である。
向く人 / 向かない人
-
向く:
建築・工芸・茶道の素養を持つ大人、記念日を「体験ではなく空間で」祝う二人、京都の職人仕事を宿の中で読みたい海外からの旅行者 -
向かない:
設備の新しさや利便性を優先する人、乳幼児連れ(土壁は指跡が残る素材)、宿を拠点に朝から観光地を巡る強行日程
具体情報
- 最寄り駅: 京都市営地下鉄 京都市役所前駅から徒歩4分
- 客室数: 18室(数寄屋造、離れ含む)
- 創業: 1704年(宝永元年)
- 食事: 部屋食の京会席(朝夕とも)
- 予約: 電話予約のみ(オンライン予約非対応)
2. 吉田山荘 — 京都・左京
元東伏見宮家別邸。1932年築の登録有形文化財を、上塗り磨きの聚楽壁ごと今も宿として使う。
Media Picks Score: 94 / 100 11室、木造2階建て料理旅館。

なぜ選ばれるか
吉田山中腹の斜面に置かれた本館・門・旧車庫・旧倉庫が一括で登録有形文化財に指定されている。壁は宮家別邸として建てられた際の上塗り磨きを継承しており、俵屋のような中塗り仕舞いの荒々しさはない。表層は絹のように整い、朝の斜光で藁すさが微かに透ける。桃山の聚楽壁が茶室で辿った「磨き上げ」の系譜を、宿という形式で残す例だ。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、宿泊者の関心は建物の由緒と料理に集中する。1階客室は庭園を、2階客室は庭園と東山の稜線を同時に見下ろす配置で、部屋の格差より「山中の別邸に泊まる」という文脈そのものを評価する声が多い。カフェ真古館の予約制運用も、宿泊者以外を過剰に流入させない編集の意思として肯定的に受け止められている。
向く人 / 向かない人
-
向く:
建築・皇族史・料理旅館の系譜に関心のある層、京都駅から少し離れた静けさを望む二人旅、庭園と建物を切り離さずに読みたい人 -
向かない:
観光地から観光地を短時間で結ぶ旅程の人(山中の宿ゆえ交通の便は限定的)、洋室・洋食を望む人、段差が多い伝統家屋を苦手とする人
具体情報
- 最寄り駅: 京阪 神宮丸太町駅からタクシー6分(徒歩は20分の登り坂)
- 客室数: 11室
- 創業: 1932年築(元東伏見宮家別邸)、戦後に料理旅館化
- 指定: 本館・門・旧番小屋ほか登録有形文化財
- 食事: 会席(朝夕とも)、カフェ「真古館」併設
3. 数寄屋風別館 佳水園(ウェスティン都ホテル京都)— 京都・東山
村野藤吾が1959年に設計した数寄屋別館。中村拓志による2020年改修でも、白土上塗りの意匠は継承された。
Media Picks Score: 93 / 100 20室、数寄屋別館。

なぜ選ばれるか
1959年、村野藤吾が醍醐寺三宝院の庭を写した白砂の中庭を中心に配置した数寄屋別館。20室の客室はすべて温泉を引き、浴槽は檜と高野槇で組む。壁は聚楽土ではなく白土に振ったが、鏝目を残す中塗り仕上げで、茶室由来の左官技術を近代ホテルの規模で成立させた稀有な事例である。2020年、中村拓志による改修でも壁の意匠は原則継承された。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計したところ、佳水園の宿泊者評価は「都ホテル本館とは別世界」という文脈で語られる傾向が強い。ホテル7階の渡り廊下を挟んで到達する動線設計そのものが、日常的な宿泊体験を隔てる装置として機能している。専任の女性マネージャーが各客室に付き、料理・観光案内を担う運営は、旅館としての要件をホテルという上位構造の中で成立させる編集判断の実装例といえる。
向く人 / 向かない人
-
向く:
村野藤吾の建築を「使う場所」として体験したい人、旅館の様式に温泉と洋式サービスを併存させたい層、南禅寺・東山散策を宿から徒歩で組む旅程 -
向かない:
料理旅館としての一本仕立てを求める人(ホテル併設のダイニング動線に抵抗のある人)、独立した数寄屋の茅葺門から入る「離れ」体験を期待する人
具体情報
- 最寄り駅: 京都市営地下鉄 蹴上駅から徒歩2分
- 客室数: 20室(全室温泉付、52〜101㎡)
- 設計: 村野藤吾(1959年)/改修 中村拓志&NAP建築設計事務所(2020年)
- 食事: 京会席(朝夕とも、専任担当が案内)
- 浴槽: 客室内、檜・高野槇の木製
4. 浅田屋 — 金沢・十間町
1867年開業、客室5。加賀独特の朱土を中塗りに用いる、金沢に残る数寄屋料亭旅館の一軒。
Media Picks Score: 92 / 100 5室、加賀数寄屋料亭旅館。
目安価格 ¥205,000–¥247,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
浅田屋は1659年に加賀藩の飛脚御用として創業し、1867年に旅館業へと転じた。近江町市場の裏手、十間町の一角に建つ数寄屋造の建物は、加賀独特の赤みを帯びた土(大聖寺周辺の朱土)を中塗りに用いた壁が特徴で、京都の聚楽壁の黄褐色とは明確に色相が異なる。艶消しに近い仕上げで、朝夕の光を吸い込むように反射する。客室はわずか5。料亭の格を旅館規模に閉じ込めた稀有な運営だ。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、宿泊者の評価は料理と器、そして少人数運営に集中する。加賀料理の料亭・浅田屋本店の系譜を引くため、夕食の完成度は突出しており、月替わりで献立を刷新する運営姿勢は宿泊料金の高さを納得させる構造として機能している。壁の材について言及するレビューは少ないが、写真投稿を集計すると、朱土の壁色と輪島塗の器が対比的に映る構図が一定割合で確認できる。
向く人 / 向かない人
-
向く:
加賀料理を「料亭ではなく宿の一部として」味わいたい層、少人数運営の徹底した滞在を望む二人旅、近江町市場と兼六園を徒歩圏で結ぶ旅程 -
向かない:
露天風呂・大浴場を望む人(浴室は客室内・シンプル)、宿代を¥100k以下に抑えたい人、複数世代同行の家族旅
具体情報
- 最寄り駅: JR金沢駅から車で7分(徒歩は20分程度)
- 客室数: 5室(数寄屋造)
- 創業: 1659年(万治2年、飛脚御用)/1867年旅館業へ転業
- 食事: 加賀料理会席、月替わり献立
- 立地: 近江町市場すぐ、兼六園・金沢城公園徒歩圏
5. 漆喰の宿 天神 — 松江・天神町
松江の空き蔵を再生した5室の宿。中塗りではなく蔵の白漆喰を客室に転用するという、聚楽壁から一歩踏み出した判断。
Media Picks Score: 90 / 100 5室、蔵再生の和モダン宿。

なぜ選ばれるか
松江・天神町商店街に残されていた空き蔵の白漆喰壁を、そのまま客室の内装に転用した宿である。京都の聚楽壁が「土を残す」判断だとすれば、この宿は「土から石灰・海藻糊への系譜へ寄せる」判断で、桃山の茶室建築が辿らなかったもう一つの左官の道を選んでいる。2019年開業と新しく、客室は5。JR松江駅から徒歩9分と実用的な立地に、蔵の白壁の温度感を残す。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、宿泊者は「和モダンだが偽物っぽくない」という文脈で壁の質感を評価する傾向が強い。漆喰特有の呼吸性が湿度の高い山陰の気候と噛み合い、真夏でも壁面の温度が上がりにくい点も、複数の宿泊者投稿から浮かび上がる。ドミトリー型と個室型を併設する運営は宿としての格を薄めるという批判もあるが、蔵という建築遺産を宿という形式で残す構造そのものは、山陰の左官文化への静かな継承として編集部は評価する。
向く人 / 向かない人
-
向く:
左官素材の違い(土壁vs漆喰)を比較体験したい層、蔵の再生建築を宿の枠で体験したい人、松江城・八重垣神社徒歩圏で拠点を組む一人旅 -
向かない:
料理旅館としての夕食体験を主目的にする人(食事提供は限定的)、贅を尽くした温泉・スパ体験を望む人、複数世代同行の家族旅
具体情報
- 最寄り駅: JR松江駅から徒歩9分
- 客室数: 5室(個室型・ドミトリー型併設)
- 開業: 2019年(空き蔵を再生)
- 素材: 蔵時代の白漆喰壁をそのまま活用
- 周辺: 松江城・宍道湖ともに徒歩圏
よくある質問
Q. 聚楽壁と土壁と漆喰の違いは何ですか?
A. 聚楽壁は京都・西陣の聚楽第跡から掘り出された黄褐色の色土を中塗りに用いる特定の土壁を指す。土壁は稲藁と混ぜた土を鏝で塗り重ねる工法の総称、漆喰は消石灰と海藻糊・繊維で作る石灰質の壁である。桃山以降、聚楽壁は数寄屋建築の標準となり、蔵や町家の外壁には漆喰が用いられた。この記事では、そのどちらを客室に残すかという編集判断で5軒を選んでいる。
Q. 撥水処理された土壁は本物ではないのですか?
A. 現代の左官業では、汚れや湿気に強くするため撥水材を混ぜた仕上げが増えている。掲載5軒のうち吉田山荘・佳水園・浅田屋は撥水処理を施していない伝統工法、俵屋も基本的に撥水は使わない。天神は蔵の既存壁の再利用のため状況が異なる。撥水処理そのものは技術的な選択であり、良否を一元的に判定するものではないが、素材の呼吸性と経年変化を残したい場合は無処理が選ばれる。
Q. どの季節に泊まると壁が最もよく読めますか?
A. 編集部が推すのは梅雨明け前から盛夏、7月上旬から8月上旬の期間である。湿度が高い時期に土壁は呼吸し、微妙に色を変える。冬の乾燥期は壁が締まって表情が硬くなるため、素材の意匠を読むには不利。京都・金沢・松江のいずれも、この季節は観光ピークをやや外れ、静けさも確保しやすい。
Q. 予約はいつ頃から埋まりますか?
A. 俵屋旅館は電話予約のみで、繁忙期は3か月前でも取れないことが少なくない。吉田山荘・浅田屋は2か月前が目安。佳水園はホテル併設のため比較的直前でも空きが出ることがあるが、離れの人気室は例外。漆喰の宿 天神は少人数運営ゆえ、週末は1か月前を目処に確保するのが安全だ。
Q. インバウンド旅行者にも向きますか?
A. 佳水園はウェスティン都ホテル京都のフロント経由で英語対応が確実。俵屋・吉田山荘は日本の伝統的な旅館様式そのものを体験する目的の海外客に長く支持されてきた実績がある。浅田屋・天神は言語対応の幅は限定的だが、事前にメールでやり取りを済ませておけば滞在は成立する。
本記事の参考情報
・京都観光Navi(京都市観光協会) — 京都の観光情報
・Wikipedia: 聚楽壁 — 素材の歴史的背景
・Wikipedia: 数寄屋造り — 建築様式の系譜
編集部から
5軒に通底するのは、聚楽壁という素材そのものを守るのではなく、素材を選び直し続ける判断を宿の運営に組み込んだ姿勢である。俵屋の中塗り仕舞い、吉田山荘の上塗り磨き、佳水園の白土への振り替え、浅田屋の朱土、天神の漆喰への転移。同じ「土壁を継ぐ」という言葉の下に、これほど幅のある判断が並ぶ。梅雨明け前、壁が最も呼吸する季節に、この判断を客室で読む一泊を組んでみるとよい。次は、庭園の飛石の据え方で宿を比較する記事を予定している。