器はしばしば、料理の背景として語られる。だが北陸と京の宿を巡っていると、料理長が皿を先に選び、その造形と釉に合わせて一皿の余白を設計している場面に出くわす。九谷の色絵、織部の沓形、そして地の作家が焼く粉引。夏の涼皿を主題に、器を主語に据えて読む宿を三軒、編集部が選んだ。
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。
器を主語に読むということ
器と料理の関係を、料理の側から語る文章は多い。「地の食材を、地の器で」というフレーズは、旅館の紹介文にも頻出する。しかし本稿では順序を反転させたい。まず器がある。作家の名、窯の系譜、造形の意図が先にあり、料理長はそれに向き合う。夏の涼皿という主題を持ち出したのは、器の存在感がもっとも問われる季節だからである。ガラス、白磁、粉引、青磁――透過や余白を扱う夏の器は、料理の色数を抑える方向に働く。そこで料理長が何を減らすか、どこに余白を残すかで、その宿の器観がまざまざと見える。
三軒はそれぞれ、器との関わり方が異なる。加賀・山代の「べにや無何有」は生活工芸の思想を敷地の内側にまで持ち込み、器を「使う」ことと「見せる」ことを分けずに扱う。京の「炭屋旅館」は茶の湯の宿として作家物と道具屋の系譜を膳に上げる。山中の「かよう亭」は、地元・山中塗と九谷を組み合わせつつ、十室しかない規模ゆえの選択の切実さを見せる。以下、三軒を順に読む。
一 べにや無何有 — 山代の色絵を、庭と等価に置く
山代温泉の高台、十六室。器と庭と料理を、同じ精度で扱う一軒。
Media Picks Score: 95 / 100 16室、山代温泉の高台に建つ高級旅館。
目安価格 ¥152,000–¥232,000 / 泊 (2名1室・通常期)

山代温泉は、九谷焼中興の祖と呼ばれる九谷庄三の窯が置かれた土地であり、明治期以降も再興九谷の中心地の一つとして続いてきた。北大路魯山人が須田菁華窯に寄宿し、器と料理の関係を独自に鍛えた場所でもある。この土地に建つべにや無何有は、加賀の食材を主軸に据えた懐石を出しつつ、器の選定に山代・九谷の作家物を継続して用いる。夏の涼皿に組まれる青手九谷の緑釉、色絵の細密文様、白磁の透明感は、器そのものが景色として立ち上がる。
設計は建築家・竹山聖の系譜にあり、共用部の書庫「Library Zero」には現代美術と工芸の書籍が並ぶ。宮島達男の作品が置かれ、器と現代美術と建築が同じ思想の帯の上にある。料理長は膳に上げる皿を、庭からの光と一緒に選ぶ。夕餉には九谷の色絵、朝餉には粉引や織部といったふうに、器の系譜を組み替える運営思想が強い。全16室に露天風呂、山庭を望む構成は、器の外側の環境も演出の一部として設計されている。ミシュランキー1つの評価は、器と料理と空間の三位一体を反映した結果と読める。
二 京都 炭屋旅館 — 茶の湯の宿、作家物を膳に上げる
大正初期創業、麸屋町三条。刀の鍔を商った鋳物屋を出自とし、茶の湯の宿として器を膳に据える。
Media Picks Score: 92 / 100 20室、京の町なかに構える老舗旅館。
目安価格 ¥113,000–¥180,000 / 泊 (2名1室・通常期)

炭屋の出自は、刀の鍔や襖の引手を商う鋳物屋である。大正の初期に宿へと姿を変え、以来「茶の湯の宿」と呼ばれてきた。毎月七日と十七日の夜に、館内の茶室で茶席が開かれる運営を今も続けている。茶の湯の道具立ての系譜が敷地の内側で生きているからこそ、膳に上がる器も、料理長個人の好みを超えて宿の系譜と呼応する。京懐石は一品ずつ客室へ運ばれる形式で、料理と器の対話は個室のなかで完結する。
京の宿における作家物は、道具屋との長い関係のなかで育まれる。炭屋が扱う器の中には、京焼や信楽、伊賀の系譜のほか、季節ごとに入れ替わる先付の向付、鮎皿としてのガラスや、夏の涼皿としての染付が組まれる。裏千家との交流が深い宿ゆえ、茶懐石の作法に沿った皿と椀の選定は精度が高い。20室の規模で客室食を維持するには、器の数と種類、そして季節替えのオペレーションが相当に複雑になるが、それを黒衣として運営する編制がある。作家名を前面に出さず、あくまで料理と一体で見せる姿勢は、Casa BRUTUS 的な意味での「編集された引き算」に近い。
三 山中温泉 かよう亭 — 十室の孤高、山中塗と山菜膳
山あいに十室のみ。山中塗の椀と九谷の皿を軸に、山菜と川魚の膳を組む。
Media Picks Score: 93 / 100 10室、山中温泉の奥に位置する山の宿。
目安価格 要問合せ / 泊 (2名1室・通常期)

山中温泉は、山中塗の産地である。轆轤挽きの木地に漆を重ねる工程が、江戸中期からこの土地で続き、椀や盆の造形は独自の系譜を形成してきた。かよう亭は十室のみ。この規模ゆえに、料理長は膳の一椀一皿を個別に選び、山中塗の椀と、色絵九谷の平皿、そして地の作家が焼く粉引や織部の沓形を組み替える。夏の涼皿には染付や青磁が主役に立ち、山菜と川魚の膳と組み合わされる。
「山の宿」を名乗ることの意味は、器の選定にも波及する。海の器は使わないという主義ではないが、盛る中身が山の素材である以上、山中塗の艶を活かした温度感、そして木地の柔らかさを前提にした構成が主軸になる。膳の全体を統率する器の系譜が明確で、料理長の意思決定に迷いが少ない。十室という規模は、器の管理と組み替えを料理長個人の裁量に置ける限界であり、この孤高の運営こそが器を主語に読める理由になっている。加賀の高級旅館の中では他と系譜を分かつ位置にある一軒である。
盛る中身から、盛る器へ
三軒を横断して見えるのは、器を単なる器物として扱わない編集姿勢である。べにや無何有は九谷の色絵を庭と等価な景色として置き、炭屋旅館は道具屋と茶の湯の系譜から作家物を選び、かよう亭は山中塗と地の作家物を規模の切実さのなかで組む。それぞれ器観が異なるが、共通するのは「盛る中身が先」という順序を疑う姿勢である。器が先にあり、料理長が余白を設計する。この順序は、旅館の紹介文にはほとんど書かれない。だが皿を持ち上げ、裏を返し、次の膳を待つ時間のなかで、読者は確かにその順序に気づく。
器の側から読む旅は、宿を読む速度を変える。目の前の一皿を、素材ではなく造形として観察するようになり、料理長が皿と料理のあいだにどれだけの余白を設計しているかが見えてくる。夏の涼皿は、その余白がもっとも判別しやすい季節である。次に器を主題に置いた稿を編むときは、備前や信楽といった土物の系譜、あるいは唐津や萩の系譜を扱うことになるだろう。器の系譜は、宿の系譜と重なりながら続いていく。
よくある質問
Q. 「作家物の器」を客室食で確認する方法はありますか?
A. 事前に宿へ問い合わせるのがもっとも確実です。三軒とも料理長または女将が器の選定に関与しており、季節替えのタイミングや使用作家について電話や書面で説明を受けられます。器の系譜を読み解きたい旨を伝えれば、膳の説明が加わる場合もあります。
Q. 器を主題にした滞在におすすめの季節はいつですか?
A. 編集部が推すのは夏(六月〜八月)です。ガラスや染付、青磁といった涼皿が主役に立ち、料理の色数が抑えられるため、器の造形と釉が判別しやすくなります。冬は蟹や鴨の膳と土物の椀が主役になり、器の系譜がまた別の顔を見せます。
Q. 山代温泉・山中温泉・京都の三軒を巡る旅程は組めますか?
A. 加賀温泉駅を起点に山代・山中は車で三十分圏内、京都までは特急サンダーバードで二時間強です。二泊三日で二軒、三泊四日で三軒を巡ることができます。器の系譜を横断する旅として、九谷(加賀)と京焼(京都)の対比が読める行程になります。
Q. 予約はどのくらい前に取るべきですか?
A. かよう亭は十室と少なく、週末と繁忙期は三〜六ヶ月前から埋まる傾向があります。べにや無何有と炭屋旅館は室数がやや多いものの、いずれも高評価の老舗であり、二〜三ヶ月前の予約を目安に検討するのが妥当です。
Q. 器の写真撮影は可能ですか?
A. 個人での記録目的であれば、多くの旅館で客室食の撮影は可能です。ただし SNS 公開の可否や、他の客室への配慮を含めて、事前に宿へ確認するのが礼儀となります。作家名や窯名を記事化する場合は、宿の広報を通すのが安全です。
本記事の参考情報
・山代温泉観光協会 — 山代温泉と九谷焼の歴史
・Wikipedia: 九谷焼 — 九谷焼の系譜と技法
・Wikipedia: 山中漆器 — 山中塗の歴史と技法
編集部から
器を主語に据えて宿を読むという企画は、料理の側からのアプローチに比べて、読者の目線を一段抽象化する。素材の産地や料理長の経歴ではなく、皿の造形と釉、作家の系譜、そして料理長がそれをどう膳に配するかを観察対象にする。三軒はそれぞれ異なる編集姿勢を見せるが、いずれも「盛る中身が先」という前提を疑う地点に立っている。次稿では備前や信楽、あるいは唐津の系譜を扱う宿を探索したい。器を主題にした旅は、続いていく。