庭の良し悪しは、塀の外をどう扱うかで半ば決まる。これは、17世紀の中国・計成『園冶』が「巧於因借、精在体宜」と記して以来、東アジアの作庭が共有してきた前提である。借景——庭の外にある山や樹木を、あたかも自らの構成要素のように引き込む技法。日本ではこれを距離と角度で三つに分ける。遠くの山並みを取り込む遠借、隣接する林や塀の向こうの緑を借りる隣借、高所から見下ろす俯借。本稿は、この三類型が現代の高級旅館でどう生き残っているかを、京都と有馬の三軒を手がかりに観察する。絶賛のためではなく、設計判断としての借景を読むために。

※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

外を取り込む——遠借という選択

遠借は、最も古典的で、最も難しい。遠景の山を庭に引き込むには、その山と庭のあいだに余計なものを置けない。電柱、隣家の屋根、生い茂りすぎた中木——近代以降の都市化は、京都の名園からこの「抜け」を次々と奪ってきた。だから東山を今なお正面から借りられる庭は、それ自体が稀少な資産である。


南禅寺参道 菊水 — 京都・南禅寺福地町 · 池泉廻遊式庭園と東山の遠借
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南禅寺参道 菊水(京都市左京区、Media Picks Score 88、5室)は、その数少ない一軒だ。1895(明治28)年頃、元呉服商の別荘として建てられた数寄屋造り。約820坪の敷地のうち、池泉廻遊式庭園が約400坪を占める。琵琶湖疏水を引いた水が庭を横切り、庭園の西寄りに立つと、樹々の向こうに東山が立ち上がる。参考価格は1泊2名で約¥106,000〜¥192,000(通常期)。

注目すべきは、東山が「正面のどこからでも」見えるわけではない、という点である。借景は庭のある一点に立ったときにのみ成立するよう設計されており、視点を数歩ずらせば山は中木に隠れる。これは欠陥ではなく、作庭者の意図だ。借りた景色を惜しみなく見せるのではなく、歩いて、立ち止まり、特定の角度で初めて報われる——遠借はそういう体験設計を伴う。菊水の庭が現代まで疏水と東山の関係を保てているのは、料理旅館として敷地が分割されずに継承されてきた結果でもある。

高さを借りる——俯借と、抜けの維持

遠借が「水平の抜け」を必要とするのに対し、俯借は「高さ」を資源にする。庭や客室を斜面の上に置き、視線を下方へ流すことで、平地では得られない奥行きを得る手法だ。京都・吉田山の中腹に建つ宿は、その典型を見せる。


吉田山荘 — 京都・吉田山 · 1932年築、東伏見宮家別邸の登録有形文化財
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吉田山荘(京都市左京区、Media Picks Score 90、11室)は、1932(昭和7)年に東伏見宮家の別邸として建てられた。外壁は木曽檜で覆われ、瓦には皇室ゆかりの逆菊の紋が伏せられている。宮大工・西岡常一が手がけた表門は、京都に残る彼の唯一の仕事として知られ、建物全体が2012年に登録有形文化財となった。和洋折衷の本館は、東山の斜面という立地を前提に組まれている。

南向きの客室からは、東山三十六峰が連なって見える。これは遠借でありながら、吉田山という高みに建つことで俯借の性格も帯びる。山際の宿が共有する難題——眺望を確保するほど建物は風雨にさらされ、維持費は嵩む——を、この宿は文化財という枠組みの中で引き受けている。借景は「建てたら終わり」ではなく、外の景色を借り続けるための保全努力を、所有者に課す。眺めの良さは、その負担と引き換えに保たれている。

外を遮断する——囲い込みという反転

三軒目は、借景の論理を裏返す。外の景色を取り込むのではなく、塀と樹木で外界を断ち、敷地の内側だけで景を完結させる。都市の喧噪や眺望の劣化から庭を守る、いわば「借りない」判断である。ただし完全な閉鎖ではなく、囲いの上端で空と山の稜線だけを残す——遮断と開放のあいだに線を引く設計が、ここでは問われる。


有馬山叢 御所別墅 — 神戸・有馬温泉 · 六甲の山並みに囲まれた全室離れ
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有馬山叢 御所別墅(神戸市北区・有馬温泉、Media Picks Score 89、10室)は、約1400坪の敷地に全室離れを配する。客室は一室あたり100㎡を超え、滝川を見下ろす木造2階建てのメゾネット型と、清水の池に面した平屋型の二系統。敷地は六甲の緑に囲まれ、谷を流れる水音が背景になる。参考価格は1泊2名で約¥139,000〜¥271,000(通常期)。

ここでの借景は、山並みを「正面から取り込む」より、囲い込まれた地形そのものを庭の延長として扱う方向に働く。隣接する緑を借りる隣借と、谷を見下ろす俯借が、敷地の起伏のなかで混在している。外部の都市景観は意図的に視界から外され、滞在者が見るのは水・木・石と、囲いの上に残された山の稜線だけになる。借景を「外を見せること」と捉えるなら、御所別墅は対極にある。だが「何を見せ、何を隠すかの判断」と捉え直せば、これも紛れもなく借景の系譜に属する。外を遮ることは、残した景色を強調する手段でもあるからだ。

借景は、土地への態度である

三軒を並べると、借景が単なる装飾技法ではないことが見えてくる。菊水は疏水と東山の関係を継承するために敷地を分割しなかった。吉田山荘は眺望を保つために文化財としての保全を選んだ。御所別墅は外を断つことで内なる景を立てた。いずれも、土地の何を資産とみなし、何を負担として引き受けるかという経営判断が、庭の構成に現れている。なお、南禅寺界隈には八千代をはじめ植治系の名庭を持つ宿が複数あり、借景の議論はこの三軒に尽きるものではない。

梅雨が明け、東山の青葉が最も濃くなる初夏は、遠借の宿にとって一年で最も視界が立つ季節である。逆に、囲い込む宿では、谷の水音と木洩れ日が際立つ。同じ「緑の季節」が、設計判断によってまったく異なる体験になる——そこにこそ、借景という言葉の射程がある。次に庭のある宿に立ったとき、塀の外に何があり、それをどう扱っているかを一度確かめてみると、その宿が土地とどう向き合ってきたかが、静かに読めるはずだ。

本稿で触れた宿

宿 エリア 借景の型 Score 室数 目安価格
南禅寺参道 菊水 京都・南禅寺 遠借 88 5 ¥106〜192k
吉田山荘 京都・吉田山 遠借/俯借 90 11
有馬山叢 御所別墅 有馬温泉 隣借/囲い込み 89 10 ¥139〜271k

よくある質問

Q. 借景の遠借・隣借・俯借とは何ですか?

A. 庭の外の景色を構成要素として取り込む技法を借景と呼び、距離と角度で分類されます。遠くの山並みを取り込むのが遠借、隣接する林や塀の向こうの緑を借りるのが隣借、高所から見下ろす構図が俯借です。出典は17世紀中国の作庭書『園冶』に遡ります。

Q. 借景が見頃になる季節はいつですか?

A. 編集部が推すのは梅雨明けから初夏。東山の青葉が最も濃くなり、遠借の宿では視界が立ちます。紅葉期は色彩が増す一方で混雑し、価格も上がる傾向があります。

Q. 三軒のなかで最も静かなのはどこですか?

A. 外界を塀と樹木で遮る有馬山叢 御所別墅が、都市景観を視界から外す設計のため、滞在中の静けさという点では際立ちます。谷の水音が背景になる立地です。

Q. 文化財に泊まれるのですか?

A. 吉田山荘は2012年に登録有形文化財となった建物で、宿泊が可能です。表門は宮大工・西岡常一が手がけた京都唯一の作とされます。

本稿の参考情報

Wikipedia: 借景 — 技法の定義と歴史的背景
名勝 無鄰菴 — 南禅寺界隈の近代庭園と東山借景の代表例
京都市観光協会 — 岡崎・南禅寺界隈の観光情報