照明を足すことが進歩だった時代は、もう終わったのかもしれない。蛍光灯が天井を均一に塗りつぶし、LEDが部屋の隅々から影を消し去ったあとで、いま静かに照度を落とす宿が現れている。谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で描いた薄暗がり——金屏風が闇のなかでわずかに光を返し、漆器の底に沈む艶を読み取るような視線を、現代の調光技術と配光計画で組み直す試み。かつて本誌が『湯あかり』で論じたのは浴場の光だったが、本稿が見るのは客室から廊下、広間にいたるまで、宿という空間全体をどう暗く設計するか、である。

※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

明るさという近代の前提を疑う

谷崎が『陰翳礼讃』を書いたのは1933年、家屋に電灯が行き渡りはじめた時期だった。彼が惜しんだのは、行灯や蝋燭が作っていた濃淡の階調が、均一な明るさによって平坦に均されていくことである。床の間の闇、欄間の影、漆や金が暗がりのなかでだけ見せる艶——それらは光を絞ることでしか立ち上がらない。

ところが戦後の旅館建築は、客に「明るくて清潔」と感じさせることを優先し、天井に蛍光灯を並べた。陰翳は、掃除の行き届かない暗さと混同され、駆逐された。いま照度を落とす宿が評価されはじめたのは、その均一な明るさに人々が飽きたからにほかならない。問題は、ただ暗くすれば陰翳が戻るわけではない、という点にある。色温度、配光、調光の三つを精密に制御してはじめて、薄暗がりは貧しさではなく豊かさになる。実在する数軒が、その差をどう設計しているかを見ていきたい。

あさば——能舞台を望む座敷の、行灯という基準点


あさば — 静岡・修善寺 · 能舞台『月桂殿』を池越しに望む数寄屋造りの旅館
PHOTO: あさば — 公式サイトを見る →

修善寺の谷あいに五百余年続くあさばは、17室。明治後期に東京から移築した能舞台「月桂殿」を池越しに望む座敷を持つ。この宿の照明設計を語るうえで起点になるのが、行灯の照度である。座敷の灯りは、書見にやや足りないくらいの低さに抑えられ、障子越しに庭からの自然光と溶け合う。夜、池に面した広間から舞台を眺めると、舞台だけがわずかに浮かび、それを囲む座敷は闇に沈む。照度の落差そのものが演出になっている。

注目すべきは、廊下の扱いだ。多くの旅館が廊下を均一に照らすのに対し、あさばは足元に近い低い位置から間接的に光を落とし、目線の高さには光源を置かない。歩くうちに視界が暗順応し、座敷に入った瞬間の行灯がいっそう温かく感じられる。光の絶対量ではなく、移動にともなう明暗の落差を設計しているのである。目安価格は¥273,000–¥380,000(2名1室・通常期)。この価格帯が支えているのは、調度ではなく、暗さを許容する運営の覚悟だと言える。

べにや無何有——竹山聖の回廊が、光を「漏らす」


べにや無何有 — 石川・山代温泉 · 竹山聖設計、回廊と庭が連続するモダン旅館
PHOTO: べにや無何有 — 公式サイトを見る →

山代温泉のべにや無何有は16室。建築家・竹山聖の設計で、館内の中心を貫く長い回廊が、外の苔庭と障子をはさんで連続する。ここでの光の作法は「漏らす」ことにある。光源を直接見せず、障子や格子の背後に置き、面で柔らかく拡散させる。夜になると、回廊の壁面に置かれた間接光だけが連続し、歩く人の足元から壁へと淡いグラデーションを描く。あさばの行灯が点の灯りなら、べにや無何有は線と面の光だ。同じ薄暗がりでも、設計の語彙が異なる。

客室の照明は調光式で、夕食前後で印象が変わる。食事の場面では膳のうえに光が集まるよう配光が絞られ、料理の色と艶だけが際立つ。食後はさらに照度を落とし、露天風呂のある庭の闇へと視線が抜けていく。色温度は終始やや低く、電球色に寄せられている。白い光が一切混じらないことで、漆喰や木の肌が黄みを帯び、谷崎の言う「沈んだ艶」に近づく。目安価格は¥149,000–¥222,000(2名1室・通常期)。光を漏らすための余白——使われない壁面や、あえて暗いまま残された一角——に予算が割かれている宿である。

坐忘林——森の暗さを、室内に引き込む


坐忘林 — 北海道・ニセコ · 中山眞による15室の離れ、森に沈む現代旅館
PHOTO: 坐忘林 — 公式サイトを見る →

ニセコ・倶知安の森に建つ坐忘林は15室、すべてが独立した離れである。建築は中山眞、クリエイティブディレクションをショウヤ・グリッグが手がけた。この宿の陰翳は、伝統の語彙ではなく、現代的な手法で組まれている。離れの大きな開口は森に正対し、昼は外の暗い緑を室内に引き込む。夜は室内側の照度を絞り、外の闇と室内の薄暗がりの境界を曖昧にする。窓ガラスに自室が映り込まないぎりぎりまで光を落とすことで、室内にいながら森のなかにいる感覚が生まれる。

共用の広間やライブラリーも、明るく照らされてはいない。書架の手元には絞った光があるが、空間全体は沈んでいる。あさばやべにや無何有が和の伝統のなかで陰翳を扱うのに対し、坐忘林は北の森という環境そのものを陰翳の装置に変えている。谷崎の薄暗がりが室内の調度から立ち上がるものだったとすれば、ここでは外の自然が陰翳の源になっている。目安価格は¥186,000–¥218,000(2名1室・通常期)。15室という規模が、館内全体を暗く保つことを可能にしている点も見逃せない。

暗さを設計するための三つの変数

三軒を並べると、陰翳の設計が三つの変数に還元できることが見えてくる。第一に色温度。いずれも電球色に寄せ、白い光を排している。白色光は影の輪郭を硬くし、陰翳の階調を奪うからだ。第二に配光。光源を直接見せず、行灯・障子・庭という遮蔽物を介して間接的に届ける。点・線・面という届け方の違いが、宿ごとの表情を分ける。第三に調光、すなわち時間による照度の変化である。チェックインから夕食、就寝へと、照度はゆるやかに下がっていく。明るさが一定でないことが、滞在に時間の流れを与える。

この三つを欠いたまま照度だけ落とせば、それはただ暗くて不便な宿になる。逆に、三つを精緻に制御すれば、薄暗がりは谷崎の言う通りの豊かさになる。陰翳礼讃とは懐古趣味ではなく、光を引き算で設計する技術論だったのだと、これらの宿は教えてくれる。

よくある質問

Q. 照度を落とした宿は、暗すぎて不便ではないですか?

A. 本稿で挙げた宿は、書見や手元作業のための補助光を客室に用意したうえで、空間全体の基調を暗く保っています。暗さと不便は別物で、必要な場所にだけ光を置く設計がなされています。

Q. なぜ電球色(低い色温度)が陰翳に向くのですか?

A. 白色光は影の輪郭を硬くし、木や漆喰、漆の艶を平坦に見せます。電球色は素材に黄みを与え、暗がりのなかでの艶の階調を保つため、陰翳の設計と相性が良いとされます。

Q. 『湯あかり』の記事と何が違うのですか?

A. 既稿『湯あかり』は浴場という単一空間の灯りを主題としました。本稿は客室・廊下・広間を含む宿全体の照度設計、すなわち滞在を通した光の連続性を論じています。

Q. 三軒のなかで陰翳の設計が最も伝統的なのはどれですか?

A. 行灯を基準点とする修善寺・あさばが、和の伝統に最も忠実な手法と言えます。べにや無何有は建築による間接光、坐忘林は外の森を装置とする点で、より現代的な解釈に踏み込んでいます。

本稿で触れた宿

あさば — 静岡・修善寺、17室、能舞台を望む数寄屋
べにや無何有 — 石川・山代温泉、16室、竹山聖設計
坐忘林 — 北海道・ニセコ、15室、中山眞設計

本稿の参考情報

Wikipedia: 陰翳礼讃 — 谷崎潤一郎の随筆の背景
Wikipedia: 修善寺温泉 — 立地の歴史・地理

編集部から

光を足すことに慣れた目には、これらの宿の薄暗がりは最初、物足りなく映るかもしれない。だが数時間も身を置けば、視界は暗さに馴染み、それまで見えなかった素材の艶や、影の階調が立ち上がってくる。陰翳とは、空間の側だけでなく、見る側の目もまた設計の対象なのだ。次は、この光の設計が料理や器の見え方にどう及ぶのかを追ってみたい。暗がりのなかでこそ美しく見えるものを、宿はどこまで意図して整えているのだろうか。