伊東温泉の東海館は、1928年(昭和3年)に創業し、1997年に旅館としての営業を終えたのち伊東市に寄贈され、2001年から市の観光・文化施設として公開されている木造三階建ての旧温泉旅館です。松川の岸に灯を映すその姿は、伊東という湯の町の顔そのものと言えます。本稿では、材木商が建てた湯宿が増築を重ね、台風をくぐり、旅館を閉じ、文化財として残るまでの道筋を、建築の側から読み解きます。あわせて、いま東海館そのものには泊まれないという事実を踏まえ、同じ松川沿いで「東海館」の名を継ぐ宿を一軒だけ選びました。湯けむりが濃くなる冬の伊東で、建物を見て、湯に浸かり、近くで眠る。そのための一篇です。
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。
材木商が建てた湯宿 — 1928年の東海館
東海館を建てたのは、伊東町で材木商を営んでいた稲葉安太郎です。敷地は河合別荘の跡地の一部で、1928年(昭和3年)に温泉旅館として創業しました。伊東市によれば、建物は木造3階建て(一部5階)、建築面積は1,320平方メートル。館内の随所に銘木や奇木が使われ、建具や細部の意匠に当時の職人の手が見えることが、市の文化財指定の理由として挙げられています。
材木商の宿であることは、この建物を読むうえでの要点です。桧や杉といった上質な材に加え、「変木」と呼ばれる形の変わった木をふんだんに用いる手つきは、木を見る目を持つ施主でなければ成り立ちにくい。廊下や階段、客間の入口といった、客が通り過ぎるだけの場所に意匠が集まっている点も、見せ場を一箇所に絞らない昭和初期の旅館建築らしいと言えます。
三人の棟梁と望楼 — 増築が形づくった外観
いま松川から見上げる東海館の姿は、創業時のままではありません。1938年(昭和13年)に国鉄伊東線が開通すると、客層は湯治客から団体客へと移り、建物は増築を重ねていきます。同じ1938年の増築では、三人の棟梁がそれぞれ一階ずつを受け持ち、技を競ったと伝えられています。階を上がるごとに、別の手による仕事を見比べる読み方ができる建物です。
1949年(昭和24年)には屋上に望楼が加わりました。周囲に高い建物がなかった当時、ここからは天城の山並みがよく見えたといいます。3階の120畳の大広間と舞台は、団体旅行の時代に宿が求められた役割を、そのまま空間の大きさで伝える部屋です。1958年(昭和33年)の狩野川台風では大きな被害を受けています。
総タイル張りの浴場と、唐獅子の湯口
温泉建築として東海館を見るなら、1階の大浴場は外せません。床から壁まですべてタイルで張られた浴室に、黒錆色の唐獅子の湯口が据えられています。作者は彫師の森田東光です。木造の客室棟とは対照的に、湯殿は水と湯気に耐える素材で固められ、そこに彫刻がひとつだけ置かれる。この組み合わせに、昭和の湯宿が浴室に託した晴れやかさが残っています。
大浴場と小浴場は、いまも土日祝日に限って日帰りで入浴できます。見学だけでは分からない、タイルの目地に沿って湯が流れていく音や、湯気の向こうにかすむ唐獅子の輪郭は、湯に浸かって初めて建築として立ち上がってきます。
旅館を閉じてから — 寄贈、市指定、そして開館
東海館は1997年(平成9年)に温泉旅館としての営業を終え、建物は所有者から伊東市へ寄贈されました。1999年(平成11年)3月30日に伊東市指定有形文化財(市22号)に指定され、同年から2001年にかけて、市は約3億円をかけて保存改修を行っています。2001年夏、伊東市の観光・文化施設「東海館」として開館しました。2002年度には「温泉文化香る東海館界隈」が静岡県景観賞の最優秀賞を受けています。
なお、東海館の文化財としての位置づけは市の指定です。国の登録有形文化財に登録されているのは、東隣に建つ旧旅館いな葉の建物(1998年9月2日登録)のほうで、こちらは現在ゲストハウスとして使われています。二つの木造旅館建築が軒を並べ、川面に灯を映す景観を、伊東市は伊東温泉の象徴と位置づけています。
いまの東海館を訪ねる
現在の東海館は、見学と入浴、喫茶の施設です。1階に喫茶室と浴場、2階に展示室、3階に大広間と客室が残り、3階の「鶴の間」「千鳥の間」はワークスペースとしても開かれています。館内はバリアフリーに対応していないため、車椅子での観覧はできません。宿泊の受け入れはなく、夜を伊東で過ごすなら、近くに宿を取ることになります。
- 所在地: 静岡県伊東市東松原町12-10
- アクセス: JR伊東駅から徒歩7分(駐車場なし)
- 開館時間: 9:00〜21:00(最終受付20:00)
- 休館日: 毎月第3火曜日(祝日の場合は翌日)、1月1日
- 入館料: 一般300円、小人150円(令和8年度から)
- 入浴: 土日祝のみ 11:00〜19:00(男女の時間帯入れ替え)、大人500円・小人300円
泊まるなら — くつろぎ日和 伊東遊季亭 — 伊東市宝町
1967年に東海館の姉妹館として開業し、同じ松川沿いで「東海館」の伝統を継ぐ宿。
温泉旅館。
目安価格 ¥66,000–¥87,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
東海館の物語を、宿泊というかたちで続けている宿が、同じ松川沿いにあります。伊東遊季亭は1967年に東海館の姉妹館として開業し、2007年に現在の運営会社が取得、2008年7月1日に現名称で再開しました。公式サイトは自らを「昭和3年開業『東海館』伝統のもてなし」を受け継ぐ宿と位置づけています。建物は木造ではなく、黒い縦格子で包んだ現代の和の意匠ですが、背後に松川の緑を控える立地は東海館と共通しています。源泉掛け流しの大浴場と、無料で使える二つの貸切露天風呂、関西割烹出身の総料理長による創作会席が、滞在の軸になります。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、最も多く語られているのは料理で、評価の大半は好意的です。次いで接客への言及が多く、否定的な評価はほとんど見られません。湯については、大浴場、源泉掛け流し、貸切風呂のいずれも好意的な評価が揃い、湯そのものが宿の強みとして受け止められていることが読み取れます。客室の広さを評価する声も目立つ一方、客室の設えや露天風呂については、少数ながら改善を求める評価も混じります。
向く人 / 向かない人
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向く:
東海館の見学と入浴を旅程の中心に置く人、料理と湯を重視する大人二人の旅、チェックアウトを12時まで遅らせてゆっくり発ちたい人 -
向かない:
木造の旧旅館建築そのものに泊まりたい人(建物は現代の構造)、2026年12月下旬までに平日泊を組む旅程(改修工事で平日休館)、価格を抑えたい旅
具体情報
- 所在地: 静岡県伊東市宝町1-8(東海館と同じ松川沿い)
- 最寄り駅: JR伊東駅から徒歩10分(タクシー約3分、駅までのタクシー送迎あり)
- 客室: コーナーツイン34.9㎡、和室・和モダン38.0㎡、源泉掛け流し檜風呂付きのプレミアムルーム81.5㎡ほか
- チェックイン: 14:00〜 / アウト 〜12:00
- 食事: 夕食は月替わりの創作会席、朝食は2階の食事処
- 温泉: 自家源泉。大浴場「木清の湯」「石華の湯」(男女入れ替え)、貸切露天風呂「檜薫の湯」「陶雅の湯」(予約制・無料)
- 創業 / リブランド: 1967年開業、2008年7月に現名称で再開
- 営業の注意: 2026年9月3日〜12月下旬(予定)は外壁・一部客室の改修工事のため原則土日のみ営業
- 駐車場: 20台
こんな旅人に
- 昭和初期の木造旅館建築を、見学と入浴の両方で確かめたい人
- 湯屋の意匠、とりわけタイルと彫刻の組み合わせに関心がある人
- 冬の伊東で、建物を見る昼と湯に浸かる夜を一泊で組みたい大人の旅
- 一つの旅館が文化財と現役の宿に分かれていった経緯を、現地で辿りたい人
よくある質問
Q. 東海館に泊まることはできますか?
A. できません。東海館は1997年に旅館としての営業を終え、現在は伊東市の観光・文化施設として見学と日帰り入浴(土日祝のみ)を受け付けています。泊まる場合は、姉妹館として開業した伊東遊季亭など周辺の宿を拠点にします。
Q. 東海館は国の登録有形文化財ですか?
A. 東海館は1999年3月30日に伊東市指定有形文化財に指定された建物です。国の登録有形文化財(1998年登録)は、東隣に建つ旧旅館いな葉の建物のほうです。
Q. 東海館の温泉には入れますか?
A. 土日祝日の11:00〜19:00に限り、大人500円で入浴できます。男女は時間帯で入れ替わるため、訪問前に時間割を確認しておくと無駄がありません。
Q. 冬に訪れる際の注意点は?
A. 伊東遊季亭は2026年12月下旬(予定)まで改修工事のため原則土日のみの営業です。東海館の入浴も土日祝のみなので、冬の旅程は週末に合わせると両方を組み込めます。
Q. アクセスは?
A. 東海館はJR伊東駅から徒歩7分、伊東遊季亭は徒歩10分です。東京からは特急踊り子で約1時間40分。東海館には駐車場がないため、車の場合は宿の駐車場に置いて歩くのが確実です。
本記事の参考情報
・伊東市: 旧木造温泉旅館東海館(市指定建造物) — 創業年、構造、建築面積、指定年月日
・伊東市: 旅館いな葉 — 隣接する国登録有形文化財
・伊東観光協会: 伊東温泉観光・文化施設 東海館 — 開館時間・入館料
・伊東観光協会: 東海館 お風呂 — 浴場の意匠と入浴時間
・Wikipedia: 東海館 — 増築・望楼・寄贈と開館の経緯
・伊東遊季亭 公式: 改修工事に伴う休館のお知らせ — 2026年の営業日
編集部から
東海館を歩くと、建築が残るかどうかは、材の良さや職人の腕だけでは決まらないことが分かります。団体旅行に合わせて増築し、台風をくぐり、旅館を閉じる決断をしたうえで、建物を市に託した人がいた。その選択があって初めて、三人の棟梁の仕事や唐獅子の湯口は、いまも誰でも見られるものとして残っています。同じ松川沿いで営業を続ける伊東遊季亭は、その同じ来歴のもう一方の枝です。湯けむりが濃くなる冬の週末、昼は東海館の階段を上り、夜は姉妹館の湯に浸かる。次に訪ねたいのは、どの町の、どの湯屋建築でしょうか。