料理は皿の上で完結しない。一汁三菜、二汁五菜、本膳——膳の構造そのものが、それを運ぶ廊下の幅と、客室の床面積を決めている。客室で食事を供し続ける高級旅館を、建築の側から読む。
| 宿 | 所在 | Score | 客室 | 創業 | 膳の供し方 |
|---|---|---|---|---|---|
| 俵屋旅館 | 京都市中京区 | 93 | 18 | 1704 | 客室での個別配膳を旨とする町家旅館 |
| 吉田山荘 | 京都市左京区 | 93 | 11 | 1932 | 東伏見宮旧別邸、数寄屋の客室と個室での会席 |
| あらや滔々庵 | 加賀市山代温泉 | 92 | 18 | 1639 | 魯山人ゆかり、個室会席の格を継ぐ十八代 |
| 山荘 無量塔 | 由布市湯布院町 | 93 | 12 | 1992 | 古民家移築の離れ、食事処で供する田舎会席 |
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。一泊二名利用時の一室あたり料金(税込)です。一部の宿は直接予約を旨とするため、参考価格を割愛しています。
膳組とは、面積の問題である
膳組(ぜんぐみ)という言葉を、料理の話だと思っている人は多い。実際には、これは寸法の話だ。一汁三菜は、飯・汁・香の物に、なます・煮物・焼物の三菜を添える。折敷は一枚で足りる。二汁五菜になると、本汁に加えて別の汁が一つ、菜が五品。折敷の上は手狭になり、銘々皿は脇に控える台を要する。本膳料理に至れば、本膳・二の膳・三の膳と膳そのものが複数並び、一人分の配膳に畳一畳ぶんに近い間口が要る。冠婚葬祭の格式とは、つまり面積の格式である。
この寸法を、客室まで運ぶと決めた宿がある。配膳室で仕上げた膳を、仲居が両手で支え、廊下を渡り、襖を開け、客の前に据える。膳が大きくなるほど運ぶ手数は増え、廊下の幅は要求を上げ、客室には膳を仮置きする床の間や次の間が要る。客室食を続ける限り、客室は「滞在する」ためではなく「膳を受ける」ために設計される。その逆算の痕跡を、四軒の実例で読んでいきたい。
俵屋旅館——町家の奥行きが、配膳の動線を生む
京都中京、十八室。客室での個別配膳を三百年続けてきた、町家旅館の原型ともいえる一軒。
Media Picks Score: 93 / 100 18室、料理旅館。

町家は間口が狭く、奥に深い。俵屋の客室食が成立するのは、この奥行きの構造が配膳の動線をそのまま吸収するからだ。客室それぞれに地窓と坪庭が付き、その手前に膳を据える畳の余白が確保されている。膳を運ぶ仲居は、共用の通路を最短で渡り、客室の入口で一度膳を置き、襖を引いてから改めて客の前に据える。この「一度置く」ための上がり框や畳寄せが、客室ごとに用意されている点に、客室食を前提とした設計思想が見える。
公開レビューデータを集計したところ、配膳の所作と客室内での食事体験への評価が当該エリアで突出して確認された。十八室という規模は、仲居一人あたりの担当客室を絞り、膳を運ぶ手数に時間をかけられる上限としても理にかなう。二汁五菜の格を客室で供しながら、膳の上が雑然としないのは、銘々皿を控える次の間の余白が初めから図面に織り込まれているからだろう。
吉田山荘——数寄屋の次の間が、配膳台になる
昭和七年、東伏見宮の旧別邸。北山杉の数寄屋に、膳を据えるための余白が設計されている。
Media Picks Score: 93 / 100 11室、料理旅館。

1932年(昭和七年)、東伏見宮家の別邸として北山杉の数寄屋造で建てられた本館は、もともと膳を受けるための邸宅だった。書院の主室に対して次の間が付き、この次の間が会席を運ぶ際の配膳台として働く。本膳料理の系譜にある格式の高い供し方を、客室規模を抑えながら成立させるには、膳を仮置きする面積をどこに確保するかが鍵になる。吉田山荘の場合、それは旧宮邸の間取りそのものが解決していた。
十一室という少なさは、料理を客室まで運ぶ宿として必然の数だ。会席は個室での提供を基本とし、東山三十六峰を望む二階の客室と、庭に面した一階とで、膳を据える光の質まで違う。公開レビューデータを集計すると、建築と料理を分けずに体験として評価する声がこの宿に集中している。膳組の格式が、邸宅の寸法に最初から組み込まれている例として、これ以上分かりやすい一軒は少ない。
あらや滔々庵——魯山人が示した、器と膳の不可分
加賀山代、前田藩主ゆかりの十八代。北大路魯山人が滞在し、器と料理の関係を問うた宿。
Media Picks Score: 92 / 100 18室、温泉旅館。目安価格 ¥102,000–¥230,000 / 泊(2名1室・通常期)

大正期、北大路魯山人が山代に滞在し、この宿の主と交わった。魯山人が後に「器は料理の着物」と言ったとき、その思想は膳組の本質を突いていた。一汁三菜であれ二汁五菜であれ、菜の数だけ器が要り、器の数だけ膳の上の構図が決まる。あらや滔々庵が魯山人ゆかりの器を今に伝えるのは、骨董趣味ではなく、膳組の設計に器が不可欠だという理解の継承である。
創業1639年、前田家に湯番として召し抱えられて以来の十八代。夕食は会席を個室で、朝食は和食を個室で供する。客室まで運ぶのではなく、専用の個室会席処へ膳を運ぶ方式を選んだことで、膳を据える面積を客室から食事処へ移している。これは客室食とは別解だが、膳組のために空間を逆算するという点で発想は同じだ。公開レビューデータの集計でも、器と料理を一体で語る評価が際立つ。北陸で膳の格式を読むなら、まずこの一軒だろう。
山荘 無量塔——古民家の梁が、田舎会席の器となる
由布院鳥越、新潟などから移築した古民家の離れ十二棟。膳組を現代の田舎会席へ翻案した宿。
Media Picks Score: 93 / 100 12室、料理旅館。目安価格 ¥176,000–¥194,000 / 泊(2名1室・通常期)

1992年開業。新潟などから移した古民家の太い梁と土間を生かした離れが、鳥越の山あいに十二棟点在する。膳組を伝統の格式どおりに踏襲するのではなく、田舎料理の文脈へ翻案した点に、この宿の現代性がある。デザインを手掛けた緒方慎一郎の仕事は、器と空間の関係を一貫して問うもので、膳の上に載る器の選定から、膳を据える卓の高さまでが連続して設計されている。
食事は離れではなく食事処で供する方式をとる。これは離れの床面積を「住む」ことに振り、膳を据える機能を別棟に集約する選択だ。客室で食べるか、食事処で食べるか——膳組をどこで受けるかという問いに、無量塔は古民家の質量で答えている。公開レビューデータを集計しても、空間と料理を分けて語る声は少なく、両者を一つの体験として受け取る評価が支配的だ。
膳が、建築を残す
四軒を貫いているのは、膳組のために空間を逆算するという一点だ。俵屋は町家の奥行きで、吉田山荘は旧宮邸の次の間で、あらや滔々庵は個室会席処で、無量塔は古民家の食事処で——それぞれの仕方で、膳を据える面積を確保している。一汁三菜の朝餉から二汁五菜の会席まで、菜の数は器の数を決め、器の数は膳の構図を決め、膳の構図は廊下の幅と床の余白を決める。料理の構造が、建築の寸法を規定する。
客室で食事を出すという選択は、効率の側から見れば不合理だ。配膳の手数は増え、客室には膳のための余白が要る。それでもこの様式を続ける宿が残るのは、膳を受けるその時間こそが、客室という空間の存在理由だからだろう。次は、膳を運ぶ器そのもの——折敷・椀・銘々皿の意匠から、宿の格を読んでみたい。
よくある質問
Q. 膳組とは何ですか?
A. 一回の食事を構成する膳の組み立てを指します。一汁三菜は飯・汁・香の物に三菜を添えた基本形、二汁五菜は汁を二つ菜を五品とした会席の格、本膳料理は本膳・二の膳・三の膳と複数の膳を並べる最も格式の高い様式です。菜の数が増えるほど、必要な器と膳の面積が増えます。
Q. なぜ客室で食事を出す宿は減っているのですか?
A. 客室まで膳を運ぶには配膳の手数がかかり、客室にも膳を据える余白を要するためです。運営効率を優先すれば食事処での提供が合理的で、近年は個室の食事処を設ける宿が増えています。本稿の四軒のうち、客室食を主とするのは俵屋旅館です。
Q. 個室会席と客室食はどう違いますか?
A. 客室食は宿泊する客室にそのまま膳を運ぶ方式、個室会席は食事専用の個室へ膳を運ぶ方式です。膳を据える面積を客室に内包させるか、別室へ移すかの違いで、膳組のために空間を逆算する点は共通します。あらや滔々庵や山荘 無量塔は後者を選んでいます。
Q. 北大路魯山人と膳組はどう関係しますか?
A. 魯山人は器を「料理の着物」と捉え、料理と器を不可分のものとして扱いました。膳組は菜の数だけ器を要し、器の構成が膳の上の構図を決めます。魯山人ゆかりのあらや滔々庵は、その思想を器の継承という形で今に伝えています。
本記事の参考情報
・Wikipedia: 本膳料理 — 膳組の歴史と格式の背景
・Wikipedia: 北大路魯山人 — 器と料理の思想
編集部から
膳組という補助線を引くと、高級旅館の図面が違って見えてくる。客室の床面積も、廊下の幅も、次の間の余白も、すべて膳を据えるための寸法だったと気づく。京都・北陸・九州の四軒は、その逆算をそれぞれの建築言語で解いていた。料理の構造が建築を残し、建築が料理の様式を守る——この相互依存こそが、客室食という不合理を成立させてきた。次は、膳の上に載る器そのものの意匠から、同じ問いを続けたい。