コンクリートを打放しで見せるとき、型枠に杉板を選ぶという判断がある。均質パネルの平滑面が「素材の抽象化」だとすれば、杉板型枠は「素材の二重化」である。木の凹凸をセメントに転写し、脱型後も木目のリブを面に残す。抽象化を拒み、木という素材の記憶を石の面に彫り込む、荒々しくも静かな仕上げ。編集部が今回選んだ 5 軒は、いずれも杉板打放しを共用部または客室に露しで採用する。安藤忠雄の均質パネルの対極にあるこの仕上げが、宿泊建築のスケールでどう機能するのか、施工の判断ごとに読んでいく。
| # | 宿 | エリア | Score | 客室 | 目安価格 | 杉板打放しの位置 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 坐忘林 | 北海道・ニセコ | 95 | 15 | ¥196–¥230k | アプローチ棟の擁壁、母屋の共用棟 |
| 2 | 扉温泉 明神館 | 長野・松本 | 94 | 44 | ¥145–¥214k | 立ち湯棟の壁面(隈研吾設計) |
| 3 | 別邸 仙寿庵 | 群馬・谷川温泉 | 94 | 18 | ¥125–¥151k | 大浴場までの回廊、玄関ホール |
| 4 | THE HIRAMATSU 熱海 | 静岡・熱海 | 92 | 13 | ¥174–¥262k | 崖側の擁壁、客室バルコニー袖 |
| 5 | LOG | 広島・尾道 | 88 | 6 | ¥78–¥87k | 耐震補強の抱き壁(Studio Mumbai) |
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なる。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)。
1. 坐忘林 — 北海道・ニセコ
原生林に埋め込まれた 15 棟の離れ。杉板型枠の擁壁が地形の記憶を面に残す。
Media Picks Score: 95 / 100 15室、モダン旅館。
目安価格 ¥196,000–¥230,000 / 泊 (2名1室・通常期)

設計の判断
設計は中山眞琴(NANANA + PARTNERS)。ニセコ・アンヌプリ北麓のダケカンバ原生林 3 万坪に、母屋と 15 棟の離れを埋め込むように配置する。特徴は、離れをつなぐアプローチの擁壁と母屋の共用棟外周に杉板型枠打放しを採用したこと。均質パネルではなく、地元の杉板を型枠として木目を転写している。原生林という「木の集積」の中に、木の記憶を残したコンクリート面を差し込むことで、周囲の樹皮の質感と面の質感を等価に扱おうとした判断が読み取れる。ミシュランキーホテルに選定される国際的評価は、この素材選択の一貫性が支えている。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、静寂と離れ配置による完全なプライバシー、朝夕 2 食のカウンター会席、露天風呂の湯質への高い評価が確認できる。一方、ニセコの中心部からは車で 15 分ほどの立地ゆえアクセスは決して良くない。価格帯も上位に位置するため、日常からの完全な離脱を目的とする滞在に向く。冬季の外構は雪深く、擁壁の杉板打放し面が雪に覆われる季節と、緑に囲まれる夏との対比を比較したいという継続宿泊の言及も見られる。
2. 扉温泉 明神館 — 長野・松本
隈研吾設計「立ち湯」棟。標高 1,050m に立つ杉板型枠の湯屋建築。
Media Picks Score: 94 / 100 44室、温泉旅館。
目安価格 ¥145,000–¥214,000 / 泊 (2名1室・通常期)

設計の判断
扉山の山懐、標高 1,050m に立つ一軒宿。既存の本館建物に隣接して増築された立ち湯棟の建築仕上げに杉板型枠打放しが用いられている。隈のキャリアの中でも比較的初期の温泉建築であり、後年の木を面として扱う手法の原型がここに読める。立ち湯棟の壁面は杉板型枠打放し。立位で肩まで浸かる縦長浴槽を中心に、湯船に立ったとき視線の高さに木目を転写した打放しが並ぶ。標高が上がるに従って気温と湿度が変化する松本奥地の環境で、木目のリブが結露と乾燥を面で受け止める役割を果たしている。90 年以上の歴史ある湯宿に、素材論的な現代建築を接木する判断が興味深い。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、立ち湯そのものへの評価が突出して高く、次いで山の懐という立地の静けさ、料理長による信州食材の会席が支持されている。松本駅からは車で 40 分ほどの山道を上がる立地で、公共交通は限定的、送迎の利用が主動線となる。冬期は路面凍結の影響もあり、雪道運転に慣れない場合は送迎の予約が推奨される。露天風呂と立ち湯の対比、そして季節ごとに変化する山懐の景色を、複数回の訪問で比較したいという評価が多い。
3. 別邸 仙寿庵 — 群馬・谷川温泉
谷川岳を望む渓流沿い 18 室。回廊の杉板型枠打放しが動線を静めていく。
Media Picks Score: 94 / 100 18室、モダン旅館。
目安価格 ¥125,000–¥151,000 / 泊 (2名1室・通常期)

設計の判断
谷川岳を借景に、谷川の渓流沿いに立つ 18 室のモダン旅館。玄関ホールから客室棟、そして大浴場までの回廊に、杉板型枠打放しの壁面が長く続く。谷川岳という強い自然景観を借景として建物に取り込むためには、内部空間の質感を「静めていく」必要がある。派手な意匠や装飾で借景と競うのではなく、木目を残した打放しの回廊で視覚のノイズを減らし、窓外の谷川岳と渓流に集中させる。設計判断としての引き算が明快で、共用部の動線がそのまま素材の観察空間として機能している。全 18 室すべてが露天風呂付きという規模設計と、共用回廊の質感設計の一貫性が読み取れる。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、館内設備の清潔感、渓流沿いの立地、料理内容の三つが安定して高評価を得ている。谷川岳ロープウェイまで車で 5 分の立地で、登山シーズンの前後泊にも使われる一方、宿の中で完結する滞在への評価が多い。上越新幹線・上毛高原駅から送迎、または水上駅から車で 15 分。関越自動車道・水上 IC からは 10 分ほどで、東京圏からのアクセスは公共交通・自動車のいずれも取り得る。梅雨明けから初秋にかけて渓流の水量と緑が最も豊かで、この時期の回廊面の色調変化を目的に再訪する読者が多い。
4. THE HIRAMATSU HOTELS & RESORTS 熱海 — 静岡・熱海
相模湾を見下ろす崖に立つ全 13 室。擁壁の杉板打放しが海と地形を接続する。
Media Picks Score: 92 / 100 13室、リゾートホテル。
目安価格 ¥174,000–¥262,000 / 泊 (2名1室・通常期)

設計の判断
相模湾を見下ろす熱海市街の南斜面に立つ、全 13 室のオーベルジュ。全室から相模湾を望む配置と、崖線に沿って階段状に構成された客室棟が特徴的だ。崖側の擁壁と客室バルコニー袖に杉板型枠打放しが露しで採用されている。海と地形の接続部を、均質パネルではなく杉板の木目を残した打放しで扱う判断は、熱海という街の斜面と海の関係を建物のスケールで翻訳したものといえる。伊豆半島の急峻な地形に対して、木の記憶をコンクリートに転写した擁壁が地形と建物のあいだを媒介する。初島・伊豆大島・三浦半島・房総半島を望む眺望と、素材の重層性が同時に成立する。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、客室からの相模湾の眺望、フランス料理をベースとした夕食コースの完成度、館内動線の静けさが継続して高評価を得ている。熱海駅からはタクシーで 15 分ほどの立地、または送迎の利用が主動線。全 13 室という小規模ゆえに宿全体の稼働が読みやすく、静けさの体感差が小さい。宿の中の食事と眺望に完結する滞在に向き、街歩きを主目的とする旅程との相性は限定的。夕方から夜にかけて、相模湾の光の変化と擁壁の陰影の関係を観察する目的で再訪する評価が確認できる。
5. LOG — 広島・尾道
Studio Mumbai 国外初仕事。1963 年築アパートに杉板打放しの抱き壁を挿入する。
Media Picks Score: 88 / 100 6室、リノベーションホテル。
目安価格 ¥78,000–¥87,000 / 泊 (2名1室・通常期)

設計の判断
設計はインド・ムンバイの Studio Mumbai、主宰は Bijoy Jain。同スタジオにとってインド国外での初めての建築仕事となった。既存の 1963 年築「新道アパート」24 室を減築し、耐震補強と用途変更を経て 6 室のホテル、カフェ・バー、図書室、ギャラリーを含む複合施設に再編した。特筆すべきは、耐震補強で新設した抱き壁に杉板型枠打放しを採用した点。新旧の壁面を明確に分離せず、時間の層を建物の中に重ねる Studio Mumbai の思想が、素材の選択に凝縮されている。他 4 軒とは異なり、リノベーション文脈での杉板打放し採用というユニークな事例として、素材論の観点から必ず言及すべき一軒。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、建物そのものへの評価が突出しており、宿泊機能というより「Studio Mumbai の建築を体験するための宿」として認識されている。尾道駅から徒歩 15 分、千光寺山ロープウェイ乗り場に近い斜面地。客室数 6 という小規模ゆえに繁忙期の予約は取りにくい。カフェ・バーとギャラリーは一般客も利用できるため、宿泊者以外の日中の動線と共存する運営で、完全なプライベート感を求める旅程との相性は限定的。宿泊料金は他 4 軒に比べて明確に下位に位置するが、建築の質と価格の乖離を評価する声が多く、Score 88 の内実がここにある。
よくある質問
Q. 杉板型枠打放しと通常のコンクリート打放しの違いは?
A. 通常の均質パネル打放しは、平滑な合板または鋼製パネルを型枠として使用し、脱型後に平滑な面が現れる。杉板型枠打放しは、杉の板を型枠内側に固定して打設するため、木目の凹凸がコンクリート面に転写され、脱型後も木目のリブが面に残る。安藤忠雄が確立した抽象的な平滑面の対極にある、素材の記憶を残す仕上げといえる。
Q. なぜ宿泊建築で杉板型枠が選ばれるのか?
A. 経年変化を面で受け止められるためだ。均質パネル打放しは 10 年、20 年と経過するうちに雨だれや汚れの痕が「ノイズ」として目立つが、杉板型枠は木目の凹凸が最初から面に存在するため、経年変化と初期の凹凸が混じり合って読めない。宿泊建築のような長期運営を前提とする建築で、この特性が評価される。
Q. 5 軒の中で最も杉板打放しを大規模に採用しているのは?
A. 面積スケールでいえば坐忘林(ニセコ)が突出する。母屋の共用棟と 15 棟の離れをつなぐアプローチ全体の擁壁が杉板型枠打放しで構成されており、3 万坪の敷地全体が素材の観察空間として機能する。次いで扉温泉 明神館の立ち湯棟、別邸 仙寿庵の回廊が続く。
Q. 建築目的で訪れるならどの季節が読みやすいか?
A. 湿度が上がる梅雨入り前後と、湿度が下がる晩秋が対比しやすい。杉板型枠打放しは湿度の変化で色調がわずかに変わるため、季節ごとの面の表情差が最も観察しやすいのはこの二つの端境期。冬季は擁壁が積雪で覆われる場合もあり、坐忘林・扉温泉 明神館などは季節による外構の見え方が大きく変わる。
Q. 星のや/界/リゾナーレなど大手ブランドの宿は含まれないのか?
A. 編集方針として、Top-N 記事では特定チェーンの独占を避けるため大手ブランドは主役には置かない。杉板型枠打放しをテーマ性豊かに扱う建築事例を、独立系の個性ある宿から抽出することを優先している。
本記事の参考情報
・JNTO (Japan National Tourism Organization) — Onsen Regions — 温泉地の地理的分類
・Wikipedia: 打放しコンクリート — 素材と施工技法の一次参照
・Wikipedia: 隈研吾 — 扉温泉 明神館 立ち湯棟設計の建築家プロファイル
編集部から
杉板型枠のコンクリート打放しを 5 軒横断して読み直すと、素材の二重化という判断が、建築家の思想ごとに異なる位相で機能していることが見えてくる。中山眞琴は原生林と地形との連続性、隈研吾は立ち湯という浴槽形式との整合、Studio Mumbai は既存建築との時間の重層。同じ仕上げが、これほど多様な意味を持ちうる素材は多くない。均質パネル打放しが「素材の抽象化」を目指すのに対して、杉板型枠は「素材の記憶をどう扱うか」という問いを面に彫り込む。次の一軒はどこで、どのような判断で選ばれるべきか、素材論の観点から読者と考えたい。