横浜・山下公園の正面に立つホテルニューグランドは、1927年開業の本館と1991年開業のタワー館という、六十四年へだてた二棟で構成された一軒である。本館の設計は、銀座の和光を手がけた渡辺仁。関東大震災で焼けた開港場の街区に、市が主導して建てた復興のホテルだった。その低い躯体を壊さずに残したまま、六十年余りのちに地上18階の高層を隣へ継ぎ足す——横浜という港町が選んだこの判断を、二棟の年代と規模から読む。


ホテルニューグランド — 横浜・山下町 · 1927年開業の本館、2階へ上がる大階段
PHOTO: ホテルニューグランド 本館大階段 — 公式サイト「歴史的建造物」を見る →

目安価格 ¥39,000–¥60,000 / 泊 (2名1室・通常期)  Media Picks Score: 93 / 100

※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)。

山下公園の正面という敷地

敷地は横浜市中区山下町10番地。地番のとおり、開港場の街区の中にある。1923年の関東大震災は山下町界隈に集まっていた外国人向けホテル群をまとめて瓦礫に変え、その瓦礫を海へ入れて造成されたのが山下公園である。新しいホテルは、その埋立地を正面に見る位置に置かれた。有吉忠一市長が市議会に建設計画を提出し、名称は市民から公募された——つまりこの宿は、一民間資本の投資というより、街区の復興計画の一部として立ち上がっている。

1926年7月6日に株式会社ホテル、ニューグランドが設立され、1927年12月1日に開業。震災からわずか四年余りである。初代会長の井坂孝は当時の横浜商工会議所会頭で、常務取締役の土井慶吉が欧米を視察して施設像を組み立て、パリで支配人アルフォンゾ・デュナンと料理長サリー・ワイルを採用した。開港場に、外から人を呼び戻すための装置として設計された宿だと言える。

渡辺仁の本館 — 地上5階に収めた躯体

本館の設計は渡辺仁。銀座の和光を手がけた建築家である。公式の「歴史的建造物」ページは、この本館をクラシックホテルの代表例と位置づけ、細部に東洋の意匠を織り込んだ造りだと説明している。躯体は地上5階。港へ向かって高さを競うのではなく、街区の水平線に沿って伸びる選択がなされている。

建築としての核は、玄関から2階へ上がる大階段と、その先に開くザ・ロビーにある。踏面をブルーの絨毯が覆い、両脇を色釉のタイルが固め、正面の壁画と時計が視線を受け止める。ロビーは高い天井とマホガニーの柱、深い彫りのキングスチェアで構成され、開業時の調度がそのまま使われている。ここは通過動線ではなく、滞在の場として設計された広間である。


ホテルニューグランド 本館ザ・ロビー — 横浜・山下町 · 開業時のアーチと列柱が残る2階の広間
PHOTO: ホテルニューグランド 本館ザ・ロビー — 公式サイトを見る →

認定の種別は正確に押さえておきたい。本館は1992年度に横浜市認定歴史的建造物となり、2007年に経済産業省が選んだ近代化産業遺産の認定を受けている。国の登録有形文化財ではない。横浜市の認定一覧にも「ホテルニューグランド本館/中区山下町/昭和2(1927)年/平成4年度」として載る。市の制度と国の産業遺産施策、二つの枠組みで評価された建物ということになる。

開業当時メインダイニングだったフェニックスルームと、舞踏室として使われたレインボーボールルームも、同じ二つの認定の対象に含まれる。客室ではなく、社交のための大空間が評価軸に入っている点が、この本館の性格をよく示している。

1991年、地上18階・地下5階のタワー館

1991年7月、新館「ニューグランドタワー」が竣工する。地上18階・地下5階。翌1992年4月には本館の全面改装が完了し、二棟体制が動き出した。低層の歴史的躯体を保存したまま、必要な客室数を隣接する高層で確保する——保存と収容力を、一棟の中で妥協させず、二棟に分けて解いた構成である。


ホテルニューグランド 外観 — 横浜・山下公園前 · 地上5階の本館と地上18階のタワー館が並ぶ
PHOTO: ホテルニューグランド 外観(本館とタワー館) — 公式サイトを見る →

敷地面積5,005平方メートル、建築面積3,701平方メートルに対し、延床面積は31,416平方メートル。建築面積の八倍を超える床が積み上がっている数字は、そのほとんどがタワー館側で生まれたものだ。二棟あわせて客室230室、宿泊可能客数531人、宴会場4室、結婚式場2室、レストラン・バー・ラウンジ6ヶ所という現在の陣容も、高層側の床があってはじめて成立している。

タワー館のロビーは本館とは別の言語で組まれている。大理石の床、吹き抜けのスケール、シャンデリア。1927年の意匠を模写せず、1991年の高層ホテルとしての水準で仕上げる判断がとられている。二つのロビーが同じ館名のもとで併存している状態は、この宿を歩くうえでもっとも印象に残る部分と言える。


ホテルニューグランド タワー館ロビー — 横浜・山下町 · 1991年開業、大理石と吹き抜けの動線
PHOTO: ホテルニューグランド タワー館ロビー — 公式サイトを見る →

二棟の距離を、階数と面積で読む

本館とタワー館の関係は、公式が公開している寸法をならべると輪郭がはっきりする。以下は公式サイトの施設概要と客室一覧に基づく整理である。

本館とタワー館の対比(公式サイト 施設概要・客室一覧より)
項目 本館 タワー館
竣工・開業 1927年12月1日 1991年7月
設計 渡辺仁 —
規模 地上5階 地上18階・地下5階
客室タイプ数 8タイプ 17タイプ(3フロア区分)
客室面積の幅 13.7〜56.0平方メートル 32.0〜130.0平方メートル
最小客室 シングルシャワー 13.7平方メートル 標準ツイン 32.0平方メートル
最大客室 マッカーサーズスイート 56.0平方メートル プレジデンシャルスイート 130.0平方メートル
喫煙可否 全室禁煙 スタンダードフロアに喫煙室あり

数字が示すのは、二棟が別々の寸法体系を持っているということだ。本館でもっとも大きいマッカーサーズスイートの56.0平方メートルは、タワー館のプレジデンシャルスイート130.0平方メートルの半分以下にとどまる。逆に本館の最小客室13.7平方メートルは、タワー館の標準客室32.0平方メートルの半分にも届かない。1927年の客室寸法と1991年以降の客室寸法が、改装を重ねてなお同居している。

この非対称は不整合ではなく、保存の副産物である。躯体の階高と柱スパンを動かさずに残す以上、客室の寸法も1927年の枠に縛られる。逆にタワー館は、1991年時点の高層ホテルの標準に沿って32平方メートルを基本単位に置いた。客室数の大半を高層側が引き受け、本館は建築そのものを見せる役へ回る——泊まる場所を選ぶという行為が、そのままどちらの年代に身を置くかの選択になる。


ホテルニューグランド タワー館客室 — 横浜・山下町 · 横浜港を正面に見る32平方メートル級の客室
PHOTO: ホテルニューグランド タワー館 ベイビュー客室 — 公式サイトを見る →

接収、作家、そして厨房の系譜

本館の年表には、建築以外の層も厚く積もっている。1945年8月に全館が接収され米軍将校宿舎となり、解除は1952年6月。接収の直前、厚木に降り立ったマッカーサー元帥が最初に入ったのが3階の315号室で、現在はマッカーサーズスイートとして56.0平方メートルの客室になっている。作家の大佛次郎は1931年から約十年にわたり318号室を仕事場にし、『霧笛』などをここで書いた。館内では今も「鞍馬天狗の部屋」と呼ばれているという。

厨房の系譜も横浜の食文化に直結する。初代料理長サリー・ワイルはコース以外にアラカルトを用意し、服装や酒の作法を緩め、ホテルの食堂を街の店に近づけた人物である。ドリア、ナポリタン、プリンアラモードといった料理がこの厨房から広まったことは公式サイトも記している。建築の保存だけでなく、運営の思想が長く残っている宿だと言える。

躯体の維持も継続している。2014年10月に耐震強化を含む本館第1期改修が完了し、約40年ぶりに「HOTEL NEW GRAND」の看板ネオンが戻った。2016年10月には第2期改修が終わり、本館1階のザ・カフェとイル・ジャルディーノがリニューアルしている。2026年4月には本館のグランドデラックスツイン、グランドツイン、グランドダブルの内装が一部更新された。歴史的建造物を営業しながら直し続ける、という選択が三十年以上続いている。

集約レビューが映すこの宿の性格

公開レビューデータを集計すると、この宿の評価は「建築と場所」に偏って高い。山下公園と横浜港に正対する立地、本館の共用部、朝の海側の眺めといった、代替の効かない要素への支持が厚い。開港場を歩く目的の滞在では、動線そのものが評価対象になっているのが読み取れる。

一方で、客室に対する評価は棟とタイプで割れやすい。1927年の躯体を持つ本館は、寸法や水回りの構成が現代の新築ホテルとは異なるため、設備の新しさを基準に置く層とは相性が分かれる。タワー館の高層階は眺望を軸に安定した評価を得ており、同じ館名でも期待値の置きどころが変わる。予約時にどちらの棟かを確認しておくかどうかで、滞在の印象は大きく動く。

向く人 / 向かない人

  • 向く:
    近代建築を目的に旅程を組む人、開港場(山下公園・中華街・元町・山手)を徒歩で歩く週末、横浜港の眺望を客室から見たい旅、記念日に大空間の共用部を使いたい二人
  • 向かない:
    最新設備と均質な客室仕様を最優先する滞在(本館は1927年の躯体に沿った寸法)、静かな山あいの温泉を求める旅(都市型・大浴場なし)、2027年1月19日〜3月20日に本館客室を指定したい旅程(整備工事のため販売休止)

具体情報

  • 所在地: 神奈川県横浜市中区山下町10番地
  • 最寄り駅: みなとみらい線「元町・中華街駅」1番出口より徒歩1分/JR根岸線「石川町駅」徒歩13分
  • 開業: 本館 1927年12月1日(会社設立は1926年7月6日)/タワー館 1991年7月竣工
  • 規模: 本館 地上5階、タワー 地上18階・地下5階。敷地5,005平方メートル、建築3,701平方メートル、延床31,416平方メートル
  • 客室: 230室、宿泊可能客数531人。1室最大3名まで
  • 客室サイズ: 本館 13.7〜56.0平方メートル/タワー館 32.0〜130.0平方メートル
  • チェックイン: 14:00〜 / アウト 〜11:00(プランにより異なる場合あり)
  • 館内: レストラン・バー・ラウンジ6ヶ所、宴会場4室、結婚式場2室
  • 喫煙: 本館は全室禁煙。喫煙室はタワー館スタンダードフロアに一部
  • 駐車場: 宿泊者は1泊2,000円、チェックアウト1時間後まで利用できる
  • 認定: 横浜市認定歴史的建造物(1992年度/本館)、近代化産業遺産(2007年/本館)
  • 工事予定: 2027年1月19日〜3月20日(予定)に本館客室および廊下の整備工事、期間中は本館客室の販売休止

Media Picks Score

93 / 100 — 公開レビューデータの集計値(評点と件数)に、編集部の主題適合度を加えた合成値です。立地は山下公園に正対する開港場の中心、建築は横浜市認定歴史的建造物と近代化産業遺産の二重認定、共用部の保存状態も良好で、いずれも高く評価しています。減点要因として、記事の主題である本館が全体の客室在庫の一部にとどまること、および2027年1月19日から3月20日まで本館客室の販売が休止されることを織り込みました。

よくある質問

Q. 本館とタワー館は何が違いますか?

A. 本館は1927年に渡辺仁の設計で建った地上5階の躯体で、客室は8タイプ、面積は13.7〜56.0平方メートル、全室禁煙です。タワー館は1991年7月竣工の地上18階・地下5階で、客室は17タイプ、面積は32.0〜130.0平方メートル。建築を体験したいなら本館、眺望と客室の広さを取るならタワー館という分かれ方になります。

Q. 本館は国の文化財ですか?

A. いいえ。本館は1992年度に横浜市認定歴史的建造物となり、2007年に経済産業省が選んだ近代化産業遺産の認定を受けた建物で、国の登録有形文化財や重要文化財ではありません。市の制度と国の産業遺産施策という、二つの異なる枠組みでの評価です。

Q. 泊まらなくても本館の建築は見られますか?

A. 本館1階から2階へ上がる大階段とザ・ロビーは共用部にあり、館内にはレストランやバーも6ヶ所置かれています。ただし2027年1月19日から3月20日(予定)は本館客室および廊下の整備工事が入り、見学可能な日程も流動的になります。時期が重なる場合は事前に問い合わせるのが確実です。

Q. 初秋に訪ねる価値はありますか?

A. 山下公園から中華街、元町、山手の丘までが徒歩圏に収まるため、暑さの引く9月下旬から10月は開港場を歩くのに適した時期です。編集部が推すのは、本館の共用部を朝のうちに見てから、日中に街区を歩き、夕方に港側へ戻る組み立てになります。

Q. アクセスはどうなりますか?

A. みなとみらい線「元町・中華街駅」1番出口から徒歩1分、JR根岸線「石川町駅」から徒歩13分です。車の場合、宿泊者は1泊2,000円で駐車場を利用でき、チェックアウト時間の1時間後まで置くことができます。

本記事の参考情報

・ホテルニューグランド 公式サイト「歴史的建造物」 — 本館の設計者・認定種別
・ホテルニューグランド 公式サイト「企業概要・沿革」 — 開業年・沿革・施設概要(客室数、延床面積、階数)
・ホテルニューグランド 公式サイト「客室一覧」 — 客室タイプ・面積
・横浜市 認定歴史的建造物 一覧 — 本館の認定年度・建築年

編集部から

保存と収容力は、多くの場合どちらかが削られる。ホテルニューグランドが選んだのは、その二つを一棟の中で折り合わせるのではなく、二棟に分けて別々に解くという方法だった。1927年の躯体は階数も客室寸法もそのまま残り、必要な客室数は1991年の高層が引き受けた。結果として、同じ館名の中に六十年以上へだてた二つの寸法体系が並走している。

この構造は横浜という街の縮図でもある。開港場の低い街区と、その背後に立つ高層。どちらかを消さずに並べておくという判断が、山下町の一角で三十年以上続いてきた。次に訪ねるときは、大階段を上がったあとにタワー館のロビーへ回ってみるといい。同じ宿の中で、時代がどこで切り替わるのかが体感できるはずである。開港場のもう一方の顔、山手の丘に残る洋館群と合わせて歩く旅程も、いずれ改めて組んでみたい。

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