床の間は飾る場所ではない。差し替える場所である。当主が客のたびに掛軸を替え、籠花を変える宿は、いま京都・奈良・金沢にわずかに残る。三軒の床の間を、四季の例で読む。

※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。

床の間という編集装置

床の間は、書院造の住まいに付随する「飾りの場所」として教科書に書かれる。だが本来、床の間に掛けるもの・置くものは、季節と客に応じて当主が選び直す。何もない四角い空間に、掛軸・花・置物の三点を組み合わせる——これは、編集者が雑誌の見開きに写真とテキストを配するのに近い行為である。組み合わせを変えるたびに、空間が別の意味を帯びる。

多くの宿で、床の間の装飾は固定化している。年に一度、正月や祝祭日に替える程度で、あとは置きっぱなしになる。観光客の回転が早く、当主が一人ひとりの客のために選ぶ余裕がない、という現実的な理由もある。だが、客のたびに床飾りを差し替える宿が、京都・奈良・金沢にいまもわずかに残っている。当主の知見が問われる仕事であり、所蔵の掛軸と花器の引き出しの厚みがそのまま宿の格となる。本稿では、三軒の床の間を四季の例で読む。

掛軸——江戸後期から明治の地元画家

京都の宿の床に掛かる軸は、多くが江戸後期から明治の地元画家の手によるものである。円山応挙、岸駒、塩川文麟、富岡鉄斎——名のあるものから、名は残らずとも市井に親しまれた画家のものまで、宿が代々受け継いできた。掛軸は、季節を切り取る道具である。梅雨期には青もみじや滝、夏には朝顔や鮎、秋には月、冬には雪中の鳥。客の好みや当日の天候を見て、当主が朝のうちに選び直す。

奈良では、奈良絵巻や春日大社の鹿を描いた軸が多い。土地の文脈を床に持ち込むことが、この土地の宿の伝統となっている。金沢では、加賀派の画家——岸駒、岸良、佐々木泉景——の流れを汲む軸が選ばれる。前田家の御用絵師の系譜が、料亭旅館の床に静かに残っている。

花器と籠花——備前・信楽・銅

掛軸の前に置かれる花器も、季節で替わる。春は青磁や白磁の壺に椿や桜、初夏は備前の壺に青もみじ、梅雨期は信楽の籠に紫陽花や半夏生——花器の素材が季節の体感を決める。籠花は、編んだ竹や蔓の隙間から花が顔を出す形式で、夏の床に最も多く選ばれる。涼やかさを視覚で伝える意図がある。

冬は銅や青銅の重い花器に椿の一輪、もしくは松の枝。物量を減らし、空間の余白を見せる。床の間の編集において、引き算は最も難しい行為である。

三軒の床の間を読む

1. 俵屋旅館 — 京都・中京区

三百年続く京都の宿。床の間は当主が客ごとに編み直す、最も時間のかかる仕事である。

Media Picks Score: 94 / 100  18室、料理旅館。

目安価格 非公開 / 一泊二食付・直接予約


俵屋旅館 — 京都・麸屋町通 · 江戸から続く老舗料理旅館の数寄屋造り
PHOTO: 俵屋旅館 — 公式サイトを見る →

床の編み方

俵屋の床の間は、客室ごとに大きさも様式も異なる。十八室それぞれに当主が掛軸の組合せを記録し、再訪客の前回の選びと重ならないように差し替える——これがこの宿の最も時間のかかる仕事だと、編集部は理解している。所蔵の掛軸は江戸後期の京画家・与謝蕪村、岸駒、明治期の竹内栖鳳らを中心に、季節と客に合わせて選ばれる。

には円山応挙系の桜の枝、青磁の壺に椿一輪。梅雨期には滝の軸に信楽の籠、半夏生か青もみじ。には鉄斎の山水に銅の花器、野菊や竜胆。は白い軸——雪景か白椿——に銅の壺、松の小枝のみ。冬の床は、物が少ない。


2. 登大路ホテル奈良 — 奈良・登大路町

興福寺の隣、十四室のオーベルジュ。床の間に掛かるのは、奈良の土地に紐づく軸である。

Media Picks Score: 92 / 100  14室、オーベルジュ。

目安価格 ¥115,000–¥223,000 / 泊 (2名1室・通常期)


登大路ホテル奈良 — 興福寺南境内 · 2022年改装の14室オーベルジュ
PHOTO: 登大路ホテル奈良 — 公式サイトを見る →

床の編み方

登大路ホテル奈良は、興福寺の南境内に隣接する立地——奈良国立博物館も至近——という特殊な土地に建つ。二〇二二年にオーベルジュとしてリブランドされた以降、客室の床に掛けられる軸は、奈良の土地に紐づくものが選ばれている。奈良絵巻、春日大社の藤の図、興福寺所縁の仏画の模本——観光のための装飾ではなく、客がこの土地で過ごす一泊の意味を補強する道具として、床が編まれる。

には桜と鹿の組合せ、信楽の壺に菜の花。梅雨期には青もみじの軸に竹の籠、紫陽花の白。には月と鹿の図、銅の鉢に薄。は雪を被った春日の社の図、白磁に椿一輪。土地の固有性を床に閉じ込めている。


3. 浅田屋 — 金沢・十間町

慶応三年創業、近江町市場の前。五室だけの料亭旅館で、床は加賀派の軸に占められる。

Media Picks Score: 91 / 100  5室、料亭旅館。

目安価格 ¥209,000–¥333,000 / 泊 (2名1室・通常期)


浅田屋 — 金沢・近江町市場前 · 1867年創業の数寄屋造り料亭旅館
PHOTO: 浅田屋 — 公式サイトを見る →

床の編み方

浅田屋は一八六七年(慶応三年)創業、加賀の料亭文化を継承する五室の宿。前田家の御用絵師の流れを汲む加賀派——岸駒、岸良、佐々木泉景——の掛軸を所蔵し、床に掛ける。料亭としての側面が強く、夕食の前に床を見て、料理と通底する季節の意匠を読む——これが当主の意図である。

には岸駒系の桜の枝、九谷の小壺に山桜。梅雨期には滝と青もみじの軸、能登の竹籠に半夏生か紫陽花。には加賀派の山水に銅の鉢、野菊と尾花。は雪中の鳥——鷺か鶴——に黒漆の花器、椿一輪。料理に響くものを、床に置く。


床に何も置かないという選択

三軒の当主に共通するのは、「床に何も置かない日がある」という編集の引き出しを持っていることである。掛軸を外し、花器も置かない。床框と落とし掛けが作る、ただの四角い空間を客に見せる。空間そのものを床飾りとする、最も難しい編集である。

これが行われるのは、極めて限られた場合に限る。建築自体に強い意味がある日——たとえば数寄屋の建付けが空気を引き締める寒の戻りの朝、もしくは建物の改修を終えたばかりの新しい床——である。当主が「今日はこの床を、何も足さずに見てほしい」と判断した日。客は気づくか気づかぬかのまま、その日の編集を受け取って帰る。床の間とは、何を置くかと同じくらい、何を置かないかを問う場所である。

よくある質問

Q. 床飾りは部屋ごとに違うのですか?

A. はい。本稿で取り上げた三軒では、客室ごとに掛軸・花・置物の組合せが異なります。再訪客の前回の選びと重ならないよう、当主または若旦那が記録を残して差し替えるのが通例です。一棟一意匠ではなく、客ごとに編集が変わる宿——そう理解するのが近いと言えます。

Q. 床飾りを見るだけのために宿泊する意味はありますか?

A. 床飾りは、宿の編集思想の最も凝縮された表現です。三十分早くチェックインして床を見て、夕食までその意味を考える——そうした滞在の仕方を支持する読者は、編集部の経験では存在します。同じ宿に異なる季節で再訪すると、床の編集の差で土地と季節が立ち上がってきます。

Q. 写真撮影はできますか?

A. 三軒とも、客室内での個人的な撮影は通例可能です。ただし、宿の所蔵掛軸を SNS で公開する際は、当主に断りを入れるのが礼儀とされています。床は、宿の財産であり、客に貸し出された一時的な編集物です。

Q. 床飾りに関する説明は受けられますか?

A. 求めれば、当主や仲居が説明を行います。掛軸の作者、花器の窯、置物の由来——いずれも、客がそこまで関心を持つのは稀ですが、関心を示せば応えてくれる。これは、伝統的な料理旅館における客との会話の一部であると言えます。

Q. 三軒のうち、初めて訪れる場合の順序の助言はありますか?

A. 編集部としては、宿の格式に慣れる順として、登大路ホテル奈良——浅田屋——俵屋旅館の順を推したいです。最初の登大路はオーベルジュとして洋食側の表現も持ち、二軒目の浅田屋で加賀料亭の床、三軒目の俵屋で京都の数寄屋の床——この順で日本の床の間の振幅が見えてきます。

本記事の参考情報

京都市観光協会 — 京都の宿と文化に関する公式情報
奈良県観光公式サイト あをによし なら旅ネット — 奈良の宿泊と文化財
金沢旅物語 — 金沢の料亭旅館と加賀文化

編集部から

床の間は、宿の編集の最終的な表れである。当主が客ごとに掛軸を替え、花器を選び直す——この作業に時間を割ける宿は、いま京都・奈良・金沢にわずかである。建築・歴史・所蔵の三つの条件が揃ったうえで、当主に編集する意志が継承されていなければ成立しない。本稿で取り上げた三軒は、その条件をいまも保つ宿である。次は、湯屋建築における「湯気と光の編集」を読みたい。

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