梅雨明け前の湿った夕暮れ、湯屋へ向かう数歩のあいだに身体が知っている宿がある。建築としての温泉、つまり「湯舟」ではなく「湯屋」を持つ宿を、編集部が五軒選んだ。長野・松本の山中、熱海の海沿い、阿蘇の小集落、谷川岳の麓、そして奥湯沢の渓谷。共通するのは、湯そのものよりも、湯に至る空間の設計に意思が見えること。室数は十一から四十四までと幅があるが、いずれも「湯屋を建てる」という発想を残している宿である。
| # | 宿 | 所在 | Score | 客室 | 目安価格 | 1行特徴 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 扉温泉 明神館 | 長野・松本 | 93 | 44 | ¥152–232k | Relais & Châteaux 加盟、立ち湯「雪月花」と大浴場「白龍」の空間設計 |
| 2 | 古屋旅館 | 静岡・熱海 | 92 | 26 | ¥108–126k | 1806 年創業、熱海七湯のひとつ「清左衛門の湯」を引く老舗 |
| 3 | 歴史の宿 御客屋 | 熊本・黒川 | 92 | 13 | ¥51–57k | 1722 年創業、細川藩御用宿の系譜と六湯の構え |
| 4 | 別邸 仙寿庵 | 群馬・みなかみ | 91 | 18 | ¥125–152k | 谷川岳を借景、全室露天と渡り廊下の建築 |
| 5 | 貝掛温泉 | 新潟・奥湯沢 | 89 | 22 | ¥48–55k | 約 700 年の歴史、ぬる湯「目の湯」の伝承宿 |
※ 目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1泊2名利用時の1室あたり料金(税込)です。Wabistay Score は公開レビューデータを集計したうえで、編集部の建築・運営評価を加算した独自指標です。
1. 扉温泉 明神館 — 長野・松本
立ち湯「雪月花」と大浴場「白龍」、寝湯「空山」を持つ松本の山中の一軒宿。Relais & Châteaux 加盟、湯の動線が設計の主役である。
Wabistay Score: 93 / 100 44室、温泉旅館。
目安価格 ¥152,000–¥232,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
標高 1,050m、美ヶ原を背にした谷あいに建つ。Relais & Châteaux 日本支部の数少ない温泉宿として、湯と建築と食を一貫した編集で見せている。湯屋は三つ。立ち湯「雪月花」、露天風呂付き大浴場「白龍」、寝湯「空山」。いずれも内壁の素材を絞り、湯気の流れを建築で抑えている。客室は四十四室、川沿いに配されて、窓の方位が一室ごとに異なる。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、評価は湯の音量・夕食の品数・スタッフの距離感に集中する。総合スコアは五点満点近く、約二千七百件のレビューが積み上がっている。一方で「規模の割に静かすぎる」という観察も少数あり、賑やかさを求める旅程にはわずかに合わない。記念日や、深い休息を目的にした滞在に向く。
向く人 / 向かない人
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向く:
記念日・節目の滞在、湯と建築の関係に関心がある旅人、Relais & Châteaux 系の作法に馴染んだ層 -
向かない:
乳幼児を伴う家族(静謐重視の館内運用)、夜の街歩きを期待する旅程、洋食中心の食を望む人
具体情報
- 最寄り駅: JR 松本駅から無料送迎バス約 40 分(要予約)
- 客室数: 44 室、川沿いに段差をつけた配置
- 湯: 立ち湯「雪月花」・大浴場「白龍」・寝湯「空山」の三つ、貸切露天 1
- 食事: 夕食は「信州ダイニング TOBIRA」にて月響コース、地産地消の懐石仕立て
- 加盟: Relais & Châteaux(日本国内の温泉宿としては希少)
2. 熱海温泉 古屋旅館 — 静岡・熱海
熱海七湯のひとつ「清左衛門の湯」を引く 1806 年創業の二十六室。湯屋は古い、しかし湯の運用は新しい。
Wabistay Score: 92 / 100 26室、温泉旅館。
目安価格 ¥108,000–¥126,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
創業 1806 年(文化三年)。熱海七湯のひとつ清左衛門の湯を源泉に持ち、引湯ではなく自家源泉として使い続けてきた。建物は二十六室と小ぶりだが、客室の半数以上に温泉露天が組み込まれ、湯屋の構造そのものが住居の延長として設計されている。夕食は部屋食、配膳の流れも江戸期からの「お一人ずつ」の作法を残す。創業の年数だけでなく、運用の連続性が選定理由である。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、評価は源泉の鮮度・料理長による京風懐石・部屋食の運用に集中している。総合スコアは四点台後半、約二千八百件のレビューがあり、近年に減点傾向は確認されない。一方で、館内の段差や階段の多さに言及した観察があり、足腰に不安のある層には事前確認が望ましい。
向く人 / 向かない人
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向く:
老舗旅館の作法に関心がある旅人、海沿いの源泉を求める層、部屋食を望む滞在 -
向かない:
バリアフリーが必須の旅程、団体での騒がしい滞在、深夜の街歩き目的の宿泊
具体情報
- 最寄り駅: JR 熱海駅からタクシーで約 3〜5 分、徒歩で約 13 分
- 客室数: 26 室、温泉露天付き客室を多く備える
- 源泉: 熱海七湯「清左衛門の湯」自家源泉
- 食事: 朝食・夕食ともに部屋食、京風懐石
- 創業: 1806 年(文化三年)
3. 歴史の宿 御客屋 — 熊本・黒川温泉
細川藩の御用宿として 1722 年に開かれた、黒川最古の一軒。十三室と六つの湯を、地形なりに配した宿。
Wabistay Score: 92 / 100 13室、温泉旅館。
目安価格 ¥51,000–¥57,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
享保七年(1722)、肥後細川藩の御用宿として開かれた。黒川温泉に三百年の歴史を持つ宿は他になく、屋号「御客屋」も現在唯一この宿が継いでいる。露天「代官の湯」「古の湯」、内湯「姫肌の湯」「御前の湯」、貸切「壱の湯」「弐の湯」、宿泊者専用の半露天「里の湯」と、十三室に対して湯が異様に多い。建物は黒川の地形にあわせて段差で繋がれており、湯を巡る行為が小さな旅程として組まれている。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、評価は湯の数と質、女将を含む運営の手触り、自家農園の素材を用いた会席に集中している。総合スコアは四点台後半、約四千七百件と黒川温泉のなかでも上位の蓄積。一部に「建物が古いため階段が多い」という観察があり、構造的制約は否定しない宿である。
向く人 / 向かない人
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向く:
湯巡りを目的にした滞在、阿蘇外輪山の風景を歩いて感じたい層、九州の老舗宿の作法に関心がある旅人 -
向かない:
段差を避けたい高齢旅、団体での騒がしい宴、洋食中心の食を望む人
具体情報
- アクセス: 阿蘇くまもと空港から車で約 2 時間、九重 IC から約 30 分
- 客室数: 13 室、和室中心
- 湯: 露天 2・内湯 2・貸切 2・宿泊者専用半露天 1 の計 7 つ
- 食事: 自家農園の米と野菜を用いた会席
- 創業: 1722 年(享保七年)
4. 別邸 仙寿庵 — 群馬・谷川温泉
谷川岳を借景にした十八室の全室露天宿。湯屋と客室をつなぐガラスの渡り廊下が、設計の核である。
Wabistay Score: 91 / 100 18室、温泉旅館。
目安価格 ¥125,000–¥152,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
谷川温泉、敷地約一千坪に十八室。客室はすべて露天風呂付きで、ガラス張りの渡り廊下が客室棟と本館・湯屋を結ぶ。設計の主題は「谷川岳をどの位置から見せるか」であり、廊下の方位、客室の窓割り、湯屋の高さがすべて連動している。源泉は谷川温泉の低張性弱アルカリ性温泉。湯屋の床と腰壁に石を用い、壁の上は木で仕上げる、湿度と温度の境界を素材で扱う構成である。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、評価は静謐さ、客室から谷川岳までの視線設計、夕食の繊細さに集中している。約二千件のレビューと総合四点台後半。一方で「天候によって谷川岳が雲に隠れる日が多い」という観察があり、視界に左右される設計ゆえに、滞在日の気象運に成果が左右される側面はある。
向く人 / 向かない人
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向く:
建築意匠と眺望の関係を楽しめる旅人、客室露天の独占を望む二人旅、谷川岳の登山前後の休息 -
向かない:
乳幼児を伴う家族、館内の派手な娯楽を求める層、雨天確実な日程での視界依存型滞在
具体情報
- 最寄り駅: JR 上越線 水上駅から車で約 8 分(送迎あり、要予約)
- 客室数: 18 室、全室に源泉かけ流しの露天風呂
- 湯: 本館大浴場、貸切露天
- 食事: 夕食は会席、個室処
- 所在地: 群馬県利根郡みなかみ町谷川 614
5. 貝掛温泉 — 新潟・奥湯沢
標高 700m、約 700 年の歴史をもつ「目の湯」。ぬる湯文化を、二十二室の山中の宿が静かに守っている。
Wabistay Score: 89 / 100 秘湯系温泉旅館。
目安価格 ¥48,000–¥55,000 / 泊 (2名1室・通常期)

なぜ選ばれるか
新潟県南魚沼郡湯沢町三俣、標高約 700m の山あい。室町期発祥と伝わる「目の湯」を擁し、約 37 度のぬる湯を長湯前提で運用している。日本秘湯を守る会の会員宿。湯屋は木造で天井が高く、源泉そのままの温度を享受するために窓と換気が工夫されている。客室は二十二室、湯から逆算した間取りで、入浴の往復が苦にならない距離に配されている。
集約レビューの傾向
公開レビューデータを集計すると、評価は源泉温度の希少性、ぬる湯の身体感覚、山中の静謐に集中している。約二千件のレビューと総合四点台半ば。一方で「湯温が低く感じる」「冬季のアクセスが厳しい」という観察があり、湯文化の好みと季節条件の影響を受けやすい。短時間の滞在では真価が出にくい宿である。
向く人 / 向かない人
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向く:
ぬる湯で長湯を楽しみたい層、秘湯系の素朴な作法を好む旅人、二泊以上の山中滞在 -
向かない:
熱い湯を好む人、観光地巡りで宿を拠点とする日程、冬季の車利用に慣れない旅程
具体情報
- アクセス: JR 越後湯沢駅からタクシーで約 18 分、路線バスで約 22 分(送迎あり)
- 客室数: 22 室、和室中心
- 湯: 源泉約 37 度のぬる湯、男女別大浴場、露天
- 食事: 山菜・川魚を中心とした会席
- 会員: 日本秘湯を守る会
よくある質問
Q. 「温泉建築」とは何を指しますか
A. 湯舟そのものではなく、湯舟を含む空間—天井高、素材、動線、換気—が建築作品として設計されている宿を指す。今回は文化財登録・設計者の明記の有無にこだわらず、湯の運用が建築の主題になっている五軒を選んだ。
Q. 梅雨明け前後の予約のタイミングは
A. 6 月下旬から 7 月中旬は比較的取りやすい時期で、夏休み本格化前のため平日中心に空室が出る。明神館・仙寿庵は土曜が早く埋まる傾向、御客屋・貝掛温泉は二泊以上で取りやすくなる。記念日利用は二か月以上前の予約が望ましい。
Q. 五軒のなかで子連れに適しているのは
A. 編集部の見立てでは、館内静謐運用や段差の多さを考えると、五軒とも幼児連れには向かない設計である。小学校高学年以上の家族で、子どもが宿の作法に馴染める段階であれば、御客屋・貝掛温泉が比較的入りやすい。
Q. 一人旅で泊まれますか
A. 古屋旅館・御客屋・貝掛温泉は一人泊プランが用意される時期がある。明神館・仙寿庵は基本的に二名以上の料金設計が中心で、一人泊は要相談となる場合が多い。各宿の公式サイトで確認のうえ電話予約が確実である。
Q. 海外からの旅行者の利用は多いですか
A. 明神館は Relais & Châteaux 加盟のため海外旅行者比率が比較的高く、英語応対の体制がある。古屋旅館・御客屋・仙寿庵は和の作法を重視する宿で、海外旅行者にも開かれているが、英語のメニューや案内は宿により濃淡がある。貝掛温泉は秘湯系の運用で、ぬる湯文化に関心のある一部の旅行者に支持されている。
本記事の参考情報
・Relais & Châteaux — 扉温泉 明神館 — 加盟証跡
・黒川温泉観光旅館協同組合 — 歴史の宿 御客屋 — 黒川温泉組合の宿情報
・日本秘湯を守る会 — 貝掛温泉 — 秘湯会加盟証跡
・Wikipedia: 熱海七湯 — 清左衛門の湯の歴史的背景
編集部から
湯屋を建築として残す宿は、設計者の名前ではなく、源泉と地形と歳月の三つで成立している。今回の五軒はそれぞれの時代の作法を保ったまま、現在の宿泊運用に接続している。Relais & Châteaux の山中、二百年の海沿い、三百年の小集落、谷川岳の借景、ぬる湯の山中—系統は異なるが、いずれも「湯のために空間が決まっている」という一点で共通する。梅雨明けの湿気のなかで、湯屋の天井を見上げる夜を、今夏のどこかに編んでもよい。